親や近親者の言葉は無意識に縛られていることが多いのですが、それは幼少期も含めての長期にわたるのである意味、仕方ないとしても、それ以外の占い師や霊能者の戯言(真面目な占い師・霊能者の方でなく、言動自体が戯言な人たちのこと)をまともに信じるのは愚かな事です。

 

 悩んでいる時に他者の助言を求めるのは良いのですが、その無責任な言葉に縛られて人生を台無しにしないように気を付けるべき。自身の人生に責任を持つのは自分でしかないのです。特に、靈格も高くなく自己鍛錬もしていないで戯言を垂れ流す占い師や霊能者(纏めて云えばエセの者たち)は、悪質でしかないので、余程信じられる人でなければ、アドバイスは聞いても振り回されないようにすべき。

 

 エセの者たちは、肯定と否定をうまく混ぜて勝手なことを根拠薄弱のままに放言しますが、それを信じたばかりに、行動を縛られて、運を開くことができないだけでなく、逆に不運に見舞われる人の多いこと。加えて精神的な病もあると、いったんインプットされた戯言を自ら否定することもできず、他者が否定しても聞き容れないという悪しき状態に陥ります。

 

 自分の人生は自らが最終決定し、他者の言は参考程度に聞く。エセな者たちは自己満足の為に他者を自分の言葉でコントロールして悦に入っています。それだけのレベルなんです。ネットにはニセモノの方が多いと思って、情報に惑わされず自身の基準で適切に取捨をしなければ、エセの思惑に飲み込まれます。

 

 或る人は〇〇術師を名乗る人から、とある才能を褒められて、その道を志しましたが、元々才能はないので、十数年、鳴かず飛ばず。無駄に時間を費やすだけで、傍で見ていて実は一切ありません。〇〇になれると只々思い込んでいて、尚且つ精神的な病にもかかっているので、言っても聞きません。手の施しようもなく、ただただ禱るだけです。

 

 また、司法試験に拘って何十年も無駄にしている人もよく見ます。よく知っている家の子息は、或る占い師に「保証」されて司法試験を20代から受験していますが、50代になっても受かっていません。人生を無駄にしたのと同じ。何度も止めて違う道を行くよう言ったのですが、占い師の戯言を確信しきっているので、50代まで正規の職に就いたことも、長いパート・アルバイトの経験もなく、手に職もなく、ただただ無駄な法律知識があるだけ。

 

 若い頃の一時期、懇願されて勉強をみたことがありますが、法的なセンスがない。知識は無駄に多くて、細かな学説も知っているけど、試験には全く通用しないのです。職に就いたこともない初老を雇ってくれるところは中々ないし、プライドだけは髙いので雇われても長続きしない。仮に司法試験に受かっても、現在の新司法修習は期間も短く詰め込む実務知識は大量で大変、難易度は旧修習時代より髙い。所謂2回試験合格も無理でしょう。

 

 占い師や霊能者等のアドバイスが、夢への挑戦を後押しすることはあるのでしょうが、戯言レベルしか示せないのであれば、それは一時的に薬っぽい効用があっても、最終的には毒でしかありません。エセの者たちが多いことを前提にして、占い師や霊能者の言は冷静に論理的に吟味するのが宜しいかと存じます。再拝