聖天様は、ヒンドゥーのガネーシャ神様と同じ、という紹介が動画等にて、される場合がありますが、元は同じでも神様としては別の御神格です。
 
 当然似ておられる面は多いのですが、佛法への帰依の有無は大きな違い。神様として信者に対して障碍を除き、多くの福を与えるのは相似。
 
 が、聖天様は女天様がおられ二人体制であり、主導権は観音様の御化身である女天様にあります。女天様が頷かない限り法力は顕現しません。
 
 聖天様の男天様とガネーシャ神様は情に厚く、願いにはすぐに情で動かれます。が、女天様は大慈大悲の御心に根差しており、勧善止悪で理知的に判断され、情のみで動かれることはありません。
 
 良い占い師は、情ではなく心で対応するのと同じ。依頼者の気持ちは心で受け取り、判断やアドバイスに「情」という、ある種あやふやな点を軸に対応しない。
 
 観音様である女天様も、マクロ的な視点で最良を施されます。最終的な幸福につながらない願いは、軌道修正をされます。欲望を肯定し認めつつも、放逸になって却って不幸にならぬよう動かれます。
 
 ヒンドゥーのガネーシャ神様は、聖天様よりはもっと庶民的な感じがします。しかし、大乗佛教という枠、即ち言い換えればある種の安全弁がないぶん、仮に非礼があって暴走した場合には、どうなるのか分かりません。祀る場合にはヒンドゥーの様式に従うのが良いでしょう。合掌