江戸中期の真言宗の浄厳大和尚は、上は将軍から下は庶民に至るまで尊崇を集め、密教においては厳格さをもって流儀を正した大徳です。この方は弟子たちに「禁聖天供」を命じたことでも有名。この辺は徹底しており、本来の大師由来の密教にはない尊格には手厳しい。宇賀神辯才天も同じく、邪義として厳しく批判しています。

 

 「禁聖天供」に関しては、著書の『妙極堂教誡』にて理由を明らかにしています。大法において聖天供を行うのは、障碍を生じないよう仕方なく供養するだけであり、通常に於いて信心すれば「もし一度彼に帰するときは永く魔民となる。 もしこれを畏れずんば、なにをもってかこれを佛子と称せんや」と指摘しています。

 

 一般的に僧侶が各自坊において、聖天信心をすれば魔界に堕ちる故に、そうした人たちは佛の御教えを受ける者として受け容れられることはない、という論で厳しい評価です。聖天供をする目的が実質、個々の欲を満たすだけのもの、という手合いが多いことを憂慮してのことでしょう。

 

 加えて、寺門隆盛のために寺院で祀ること自体も禁止。「もし三宝を興さんがために資財を要せば」としたうえで、佛法の為に財が必要に拜むべき尊格として、寶生佛、 虚空蔵菩薩、持世菩薩、如意輪観音、地蔵菩薩、毘沙門天、地天、吉祥天、宝蔵天、大辯才天を挙げて、これらを供養すれば十分としています。

 

 浄厳大和尚の教えは真言宗では廣く支持されている向きもあり、真言宗の方の中には現代でも聖天供への拒否反応があり、そうしたことが巷間の聖天様への悪評にも繋がっているのかもしれません。が、浄厳大和尚の論は片面的であり、木を見て森を見ないが如きものと言わざるを得ません。

 

 聖天様は各種経軌をみれば分かる通り、三寶に帰依しておられます。故に「魔」ではなく、佛法護持を御佛と約した佛法の天部尊。元々の魔の部分は全部が払拭されていないものの、信心をした者を魔に取り込み、佛法から離れさせることはしません。部分の「魔」をみて、全部を「魔」と断じるのは謬見としか言えません。

 

 鑑みるに、浄厳大和尚は先に結論ありきで、帰納的な論理で指摘しているだけではないかと思う次第。自身の法流から聖天様の「魔」の面に魅入られて道を外す者が一人も出て欲しくないという強い思いがあったものと推察します。法友の湛海律師が聖天行者になることに反対していたことからも、元々聖天様とは宿縁がなかったのかも知れません。

 

 御佛による天部尊の教化を信じるのであれば、その三寶への帰依を信じることは大事です。真言宗でも興教大師のように、特に講式を謹製し、聖天様への信仰を高揚させた大徳も少なからずおられたことも併せ考察すれば、浄厳大和尚はある種の偏見があったものと考えます。

 

 ただ、浄厳大和尚の指摘が全部間違っていると云っている訳ではなく、その掲げる危惧点は大いに参考になります。現世での富貴栄達を僧侶が求めるだけになれば佛法が滅びかねないことや、特殊な故に法の継承が難しいこと、先にも述べたように「魔」へ傾きやすいこと等は行者であれば常に氣を付けねばならなことです。

 

 人間的な弱さを誰しも持っていることを真剣に考えてみるなら、「禁聖天供」という教えにも一理はあります。浄厳大和尚が懸念した状態にならぬよう、其々の行者は十二分に注意し、精進を怠らないようにしないといけません。浴油が「欲油」となっては元も子もないのです。合掌