私たちが行として密供を修することが出来るのは、先徳方が命がけで法の継承をしてきて下さった結果です。故に本供だろうが略法だろうが一真言一印を含め細かな一法たりと雖も軽々しく扱ってはいけません。時々は台密の祖、慈覚大師の傳記などを紐解いて、そのご苦労のほどに思いを致すことも大事です。ある程度の行者には各種の一印法を傳授していますが、余り修せずに法の蒐集家になっている例もみかけます。法の大切さはどんな時にも忘れてはいけません。護身法を正式に初めて授かったときの感動を忘れないように。自戒を籠めて。合掌