釈尊の御教えは徹底した現実論で或る意味手厳しい面があります。自因自果もその一つ。全部の出来事や状況などは全て自分で原因を作ったもので、それが縁を得て現われてきたものとします。

 

 謂わば何でもかんでも自業自得であり、結果は受け容れるべしという論理になります。形而上的には筋の通った理屈で、どんな事象も元を辿れば自分に原因があるのですから、論理上は理解できます。

 

 が、実際には単純な因果関係であればまだしも、普通は何が原因かは分かりません。現在の事象からは遠い因子が何処かにあるのかも知れませんが、それを自覚することは困難。故に災い事であれば「私は悪くないのになぜ」という嘆きになります。

 

 それに対し、自因自果=自業自得と他者が指摘したら、大抵はトラブルになります。場合によってはハラスメント認定をされかねません。相談を受けていても、理論上は此の法則が正しいと思いつつ、しかし実際のカウンセリング上は「正解」とは言えない、というジレンマはあります。

 

 ただ、自因自果の理は、自身を冷静に見詰めなおし、自省する為には役立ちます。自己に責任があることはきちんと受け容れていくことで、次の展開がみえることがあります。

 

 種々の侮辱や苦しみを耐え忍び心を動かさない、という忍辱の行は自因自果を受容することから始まります。しかし、現実的に生命・身体・財産への違法・不当な侵害というレベルの行為に対しては、普通に様々な手段で抗することが許されるので、忍辱の行とは区別して考えることが大事だと思います。

 

 何事にも忍辱の一事で貫き通すことは、眞の高僧や偉人レベルであれば可能でしょうが、一般には極めて困難なこと。多くの場合、自身のみの害にととまることなく、周囲の不幸にも繋がっていくので、その辺は毅然とした対応が必要かと愚考します。合掌