ご朱印が好きな方がいて蒐集している向きもあり、人気のある寺社の朱印所にはよく行列が出来ています。加えて部屋に飾って拜めるようにする物も売られておりますが、ご朱印は単なる參拜・参詣の記録であって御札でも御守りでもありません。

 

 ほとんどのご朱印は、手慣れた寺社職員などが流れ作業で単純事務のように書き込んでいるだけ。時折、ご住職や行者が心を込めて書かれたものに、素晴らしい氣を感じることはありますが、そうしたご朱印は殆どないです。

 

 拙僧も日本百観音や関東三十六不動のときは、諸事情と記録も兼ねてご朱印をもらいましたが、通常はご朱印はスルーです。ご朱印は殆ど箪笥の肥やしになるだけで、何処に何日にお参りしたかを再確認するとき以外には開きません。例えれば映画のパンフと同じで、少し経てばどこかに仕舞ってしまい、引っ越しなどのときに懐かしがるくらいです。

 

 ご朱印を目当てにでも寺社へお参りすること自体は素晴らしいことだと思います。ただ、ご朱印や帳面を特別視し過ぎる向きもあるので、それは単なる執着ですので無意味だと思う次第です。

 

 ただし、信心のものである点から大事にするのは勿論として、拙僧のようにクールに扱わなくても良いのかも知れません。それぞれの思い入れもあると思いますので、基本は各自の気持ちの赴くままにすれば構いませんが……。再拝