チベット佛教と一口に云っても様々な流儀があり、全部が全部、ダライ・ラマ聖下のご教導に従っている訳ではありません。聖下の宗教的権威のもとにあるか否かで正否が判断されるわけではないのですが、一部には「危険」な流派があり、意外に宣伝上手で日本を含め世界に根を張りつつあるので、注意が必要です。

 

 その団体は、ニュー・カダンパ・トラディション(国際カダム派仏教連合、略称:NKT—IKBU)といった名称で活動しています。此処で篤く信奉されている祟り神の如き「精霊」(その呼称をあげることも憚られます)が問題なのです。その「精霊」は悪しき性格のモノであり、狭隘な思想で過激なセクト主義に導き、不幸をばら撒きます。

 

 元々はチベット仏教の某派内で護法尊として崇められていた時期もあるのですが、その悪しき影響に憂いを抱かれた聖下をはじめ3代のダライ・ラマ法王が奉祀を禁じています。現聖下は融和を重んじるかたで異質というだけで排除するようなお方ではないですが、その「精霊」を崇めることで却って霊的に危うい状態になることを懸念されて禁令を出されています。

 

 禁令と云ってもチベット佛教内で弾圧するということはなく、僧俗の個々の信心については自由としつつ、信者は聖下ご自身の主宰する法会などを遠慮するように、と穏やかな対処をされています。聖下は信教の自由を重んじつつも、ご自身が慎重に判断された禁令に違背する場合、霊的な背景が異なってくるゆえ、法会への参加を遠慮するように訴えられてます。

 

 悪しき「精霊」が多くの人の魂を蝕む危険性を排除することは、聖下の宗教的・政治的な責務であるので、こうした処置は仕方ない面があると思います。「精霊」信奉者が聖下の法会などに参加した場合には霊的な妨害を受ける可能性が大きく(それ程強い「精霊」)、法会参集者を守るという意味でも禁令は正当性を帯びてきます。

 

 その「精霊」もチベット佛教内の宗教的・政治的な抗争のなかで生じてきた面もあると言うのですが、一時護法尊とされていたものの、悪しき性格は変わらず、一般のチベット佛教の僧俗の中には、その「精霊」を除ける特殊な護符も存在しますので、一部の信奉者を除き恐れの対象だったのでしょう。

 

 チベット佛教の行者師によると、日本でも組織ができた数年前、聖下の日本事務所が警鐘を鳴らす声明を出していましたが、芸能界やスピ好きの人たちを中心に根を張ろうとしているとのことです。チベット佛教の正統派と勘違いして入ってしまう方もいるので、気付いたら早く抜けることが重要です。「精霊」に対抗するには、グルリンポチェをお祀りするといいそうです。

 

 こうしたチベット佛教内の「内部闘争」の如き件をみると、ある主流派宗教組織が一部の信奉者がいる靈的存在を「悪」と決めつけて弾圧するようにみえ、信教をはじめ内心の自由を重視する世界の思想的趨勢からすると違和感を覚える向きもあると思います。

 

 ただ、当該靈的存在はある種の怨霊として有名であり、昔から悪靈として多くの人から恐れられ、害を齎してきた経緯を考えると、聖下の禁令は当然という意見も根強いようです。過激なセクト主義が及ぼす影響は、多数の安寧を脅かすので、こうした廃除は苦渋の決断なのかも知れません。いずれにしてもチベット佛教内の話なので、部外者がどうこう言える話ではないんですが……。

 

 いずれにしても、祟り靈のような危うい存在には、ある種の変な魅力を感じる向きもあるとは存じますが、君子危うきに、というのが妥当な線かも知れません。信奉するしないは自由なのですが、強烈な威力を持つ靈的存在であればあるほど、後戻りはできず、今世・来世に影響することは忘れてはなりません。すべては自己責任ですので、信奉する場合は腹をくくる覚悟が必要でしょう。合掌