昨晩夢の中でロザリオの祈りをしていました。東京・麹町の麹町教会(聖イグナチオ教会)の古い聖堂=写真=の聖母子像の前で、日曜日のミサと教会学校後の静けさの中で、一人ロザリオ一環をしている夢。ロザリオはキリストのご生涯を黙想しながら、主祷文や天使祝詞など所定の祈りを奉げるものです。

 

 この聖母子像は幼い頃いつも前で祈っていた聖像で、今でも明確に覚えています。人生のはじめの方の大きな区切りのときには神父の許可を得て、遅くまでよく祈っていた懐かしの聖像。夢の中では何故かシューベルトのアベマリアがかかっていました。

 

 こうした幼い頃の記憶というのは、何かの拍子に浮かび上がってきて夢に見るのでしょう。聖母マリア様と観音様との相似性を指摘する向きもありますが、個人的には全くの別物。

 

 幼いあの頃イグナチオ教会に居られた素晴らしい神父様やブラザー・シスター方からの教えが自身の聖母マリア様のイメージのベースですが、感覚的に観音様とは違う。

 

 観音様には母性的以外に、父性的な要素がありますが、聖母マリア様は至高にして最良の母性の究極。父性的なものはかけらも見いだせていなかったので、個人的には両者は違うものという感覚なのだと思います。

 

 イグナチオ教会旧聖堂の聖母子像は新しい聖堂内にも安置されています。今では信者でないので、いくら習合的思想を持っていても軽々に行きませんが、近くに知り合いの法律事務所があるので、時々用事で横を通るときには、なつかしく感じます。雑文でした。(;^_^A