自分と上手く付き合えますように。 -4ページ目

自分と上手く付き合えますように。

月並みなことばかりになるかもしれませんが、
私自身の体験を通して
子育て・教育・親力などに関する記事を
書いていきたいと考えています。
発達障害関連も時々入ると思います。

人間をペット扱いするといった
強烈なタイトルで始まった内容ですが
その意図は悪意のあるものではなく
そうなってしまった理由があるというお話です。
前回はその背景などの考察までだったので
続き今回はその「まとめ」を書いていきたいと思います。

*****まとめ*****
「目に見えないから分からない」
この言葉から、もしかして…と連想したのが
アスペルガー傾向を持つ人たちのことでした。
意図的に教育しない人たちはおそらく
虐待などを受けて育ってきた大人たちでしょうが
【家庭教育という概念が
    存在することを知らないのは】

アスペルガー傾向の人たちではないでしょうか。

そして、親子代々が似たような人物になるのは
【その対応が常識とされる家庭だから】
次の子どもを育てる時にも同じようにしていきます。
ですからもし子どもに顕著な特性がなかったとしても
【後天的に発達障害っぽくなっていく】
このような可能性は否定できないかと思います。

当事者が子育てについて相談される際
「私自身が子どもに話しかけるのが苦手だから」
「雑談などできないタイプの人間なので」
といったことを自身で認められる場合もあり、
そうすると、
【子どもとの関わりは

    必要最低限となり】
家庭教育の基本中の基本は教えてあげられても
(箸の持ち方、左右など)
その親ならではの感じ方や考え方などを
言語化できる機会はほとんどないと思われるので
不足してしまうところが多分に発生します。

例えば、「花がキレイ」という感情は親から教わります。
でも親にその感覚がなければ「ただの花」なのです。
別に花をきれいに思う必要はないけれど
”多くの人が花をきれいだと思っている”ということが
だいぶ大きくなるまで理解できないことかもしれません。
気を付けておきたいのは、
発達障害傾向を持っているから必ずそうだと言い切れないし
他の生育環境によっても同じようなことは起こり得ます。
つまり、「発達の偏りがあるから」ダメなのだという
お話ではないので、誤解のないようにお願いします。

*****最後に*****
子どもの家庭教育ができないこと自体は
やはり良いことではありません。
本来であれば”家庭内で教えておくべきこと”を
この頃は学校などで教えて当然だと
本当に信じている人がかなり増えたように思います。

発達の偏りがある人、知能の低い人、
虐待を受けて育った人……
色んな人に色んな事情があることと思います。
だからといって子どもに悪影響を及ぼすから
親になってはいけないという話ではなくて。
私は多くの人に「親」という立場を経験してほしいと思いますし
それは確実に経験値として自分の成長を促すことです。
ただ、子を持つ覚悟や準備などは必要ですよね。

ですから最後に、今回掲げた問題について
大切だなと思うことを3つ挙げておきます。

【必ず支援の手を
      最大限活用すること】

世間体を気にするタイプの人たちは
恥をかくことや見下されることを恐れて
”家庭内のさまざまなことを
     隠したがる傾向があります”

そのため、
”本当に必要な情報を
      受け取る体勢がとれず”

子育ての仕方や教育が
偏ってしまう可能性が高くなります。
「自分の子どものことだから
  自分一人でなんとかしないと」といった
考えで閉鎖的になるのは危険です。

【目先の判断をしないこと】
今、泣き止めばそれでいい。
今、事が落ち着きさえすればいい。
こういった考えだけで
”その場しのぎの対応を続けるのではなく”
もっと長い目で見た関わり方が大切です。
例えば、泣き止むから…と
好きな物ばかり与え続けていたら
20年後、30年後に
子どもがどうなってしまうのかを考えながら
今の自分の行動や言動を決めてください。

【自分を信じて自分を疑うこと】
自分が親にしてもらって良かったことが
”決して我が子に対して
     良いこととは限りません”

ショートケーキを食べて自分が美味しくても
子どもがそれを好きとは限らないのです。
だから、自分の感覚を大切にしながらも
”そこに子どもの気持ちを
         反映できているのか”

こういったことを考えてみてください。
分からなくなったら身近な人に聞くとか
恥ずかしい、情けないと感じるなら
お金を払って専門家に相談しましょう。

※この記事は、主観が含まれます。
 全員に当てはまるものでもありません。
 複数の視点で読めるように心がけていますから
 一つの回答に絞られないこともあります。
 生き方のマニュアルとしてではなく
 あなたが生きるうえでの参考になれば幸いです。

このお話、十数年前に一度だけ取り上げて
(当時はアメブロで書いた記憶が…)
それ以来、タイトルが強烈なので
敢えて触れてこなかった話なのですが
この頃、そのメカニズムが分かるようになったので
リスキーな発言にはなりますが
勇気をもって記事にしたいと思います。
かなり長くなってしまったので、2回に分けて掲載します。

まず最初に、
誤解されないよう伝えておくことがあります。
【誰も、子どもをペットとして
    飼いたいとは思っていないはずで】

タイトルの言葉を使って子育て提言をした人も
「そうならないように気を付けてね」という意図で
当時取り上げていたことだと思います。

その頃は、私も子育て真っ最中で。
おそらく息子が小学低学年くらいだったのかな?
怪獣と対峙する毎日を送っていたはずwww
そして犬を飼い始めた頃と重なりますが、
ペットの方が私の言うことを聞いていましたよ(;^ω^)
(ダメじゃん、息子よ笑笑)

はい。本題に入ります。
子どものペット化というのはざっくり言えば
【家庭内教育をしない(できない)
     親が増えたということの指摘】

だったように今は思えます。
当時の私の感覚ですと
「知能の低い人たちの話」と思っていました。
ですが今はそう思ってはいないですし
多くの相談事例の中にもたくさん存在していて
”別の共通点を見つけてしまったのです”
まずは、具体的にどういう対応をすることが
ペット同然の方法にあたるのかを考えましょう。

*****考察*****
生き物を育てるときに最低限必要なことが
「食事」や「トイレ」のお世話です。
人間を育てるにも、食事を作り、オムツを替えます。
正直、これ以外で必要なことはないと思います。
【これら以外は、
   養育者の意向によるものとなり】

例えば、動物ならどういうケージに入れるのか?
犬猫は外飼いか家飼いか?など飼い主が決め、
人間なら習い事をさせるかどうか?
どんな服を着せておもちゃは何にするのか?
これらは養育者が決めることになりますので
【各家庭によって異なります】
ですが、少なくとも人間に関しては
おもちゃを買い与えない親はいないし
服を着せない親はいないので、
このあたりは必須ともいえるでしょう。

ただ、習い事を含めて
【両親の価値観に基づいた
      子育てが行われるので】

何が許されて何が許されないかは決まっていません。
高学歴高収入の両親であれば
タワマンで暮らし、高級な習い事が許され
ブランドバッグを買い与えていることもあります。
その逆の両親であれば、子どもの習い事すら
視野に入らない可能性があります。

ここまでは「目に見える」環境や教育となりますが、
上記で発言した通り
【家庭教育は習い事などとは
     話がまったく別のもので】

服や食事の内容よりもさらに
”親の価値観が反映されます”
そしてこの家庭教育そのものについて
【視野に入っていない

     親が存在している】
これが問題だと以前から提言されているわけです。

そういったタイプの親の発言ですが、
「子育て?やってますよ。
 食事は作るしオムツも替えてます。
 良い環境で子どもは快適に過ごしています。
 私は外で働いているので、日中は保育園で。
 休みの日は公園に連れて行っていったり
 買い物で出かけるなどしています。」
どうでしょうか。
至って普通の発言で違和感はないですよね?
なぜならここに「家庭教育」というものが見えないから。
そうです、
【家庭教育は外側からだと
    特別分かりにくい教育なのです】


次回、まとめなどをお伝えしたいと思います。

※この記事は、主観が含まれます。
 全員に当てはまるものでもありません。
 複数の視点で読めるように心がけていますから
 一つの回答に絞られないこともあります。
 生き方のマニュアルとしてではなく
 あなたが生きるうえでの参考になれば幸いです。

以前、障害・病気の子育てをしている
ママ友との付き合い方に関して書きましたが
そもそもママ友との付き合いに関しては
当たり前にできる人とそうでない人がいます。
今回は、そのタイプの人の「心がまえ」について
なにか参考になる事を考えて書いてみます。

私自身もママ友との付き合いは苦手で
これは我が子が病気だったからという理由だけでなく
【私自身のメンタルにも関係しています】
自己分析をした結果、大きな理由は一つだけ。
【競うような場を、

  とにかく避けたい人間だから】
ママ友関係はもちろんのこと、
息子が成人した今
他の人間関係においても変わりません(;^_^A

そんな私も実は昔、競う世界で活躍していました。
ちょこっとだけその世界では知られていました。
ですがその競争が
【人間関係を悪化させる
   原因の一つだとわかったので】

そこから去った…というのが本音かな。
まぁ、やる気がなくなったのも事実ですがwww
それ以外でも、私の育った環境や学生時代には
「私が一番!」という人間が多すぎて大変でした。
そういう時代だったのか地域柄なのか…
露骨に、あからさまに自分を主役に置きたい人が
めちゃくちゃ多かったように今は思い出されます。
そうすると、何が起きるかと言いますと
”自分が競いたくない場面でも
   競争に巻き込まれる現象が起きやすく”

望まない戦いの日々に
      疲れてしまいました(´・ω:;.:...

さて、話は本題に入りまして。
ママ友との付き合いが苦手な人たちの
理由はそれぞれに違うとは思うのですが
大きく3つに分けて考えてみました。
■そもそも人付き合いが得意ではない
 →親になってしまったがために、
  苦手なことに関わらなくては
  ならなくなったという人です

■ママ友という括りが苦手
 →学生時代の友達などはいるけれど
  親同士という関係性が苦手で
  どう付き合うか分からない人です

■気の合う人が見つからない
 →表面上は朗らかに接していて
  大きなトラブルは見当たらないけれど
  気の合うママ友が見つからないために
  孤立した気分になっている人です

一概には言えないことではありますが
ママ友同士の付き合いの中で
”目立っているグループは、
     ある意味特殊で奇妙です”

これは私の偏見かもしれませんので
そうでないケースも想定して考えてください。
ただ、私が経験してきた「それ」は、
・リーダーがYESと言えば全員一致
・大半が同調圧力で成立している
・先入観で人を判断して選別する

このようなことが多かったように思います。
もちろんそのグループ内の人同士では
日々仲良く和気あいあいとした気分で
関係が保たれているのですが
何か1つ異物が混入してしまうと、
それを排除しようとするエネルギーが働きます。
つまりどういうことかというと、
【リーダーの価値観に
   そぐわない人間は排除です】


*****まとめ*****
これは集団心理としては正しいのでしょうが
今はママ友同士の付き合いのお話ですから
そこで終わらせるわけにはいきません。
なので私なりに考えた3つをお伝えします。
■そもそもなじまなくていい
■目的を持って付き合う
■別のコミュニティを探す

これらを具体的に説明して終わりますね。

■そもそもなじまなくていい
 →これが【誰の人間関係なのか】によって
  付き合い方が変わってくるということです。
  いつも集団でたむろしているグループは
  「ママ」という肩書を使ってはいるけれど
  ”女同士が改めて学生時代を経験しながら”
  大人同士の友達関係が形成されているのです。

  つまり、ママ友というカテゴリではあるけれど
  女同士の友達の集まりですから
  そこに無理に入っていって仲良くしなくてもOKです。

■目的を持って付き合う
 →そうはいっても、誰ともかかわらなければ
  色んな意味で不安になると思います。
  ですからママ友との関係を保つためには
  【明確な目的設定から始めましょう】

  例えば、子ども同士を遊ばせるため。
  それは子どもの経験として必要だからです。
  ほかには、学校の情報を共有するためなどです。
  その目的さえ果たせれば、それでOKの関係です。

■別のコミュニティを探す
 →これは自分の心の安寧を目的とします。
  私と同じ気持ちの人ならわかると思いますが
  【学校という無駄に競争だらけの世界から】
  離れた世界に身を置くようにしましょう。
  保護者の関係だけが全てではありませんし
  ”その関係には期限がありますから”
  子育ての期間だけ工夫すれば良いのです。

久しぶりに子育てとかママ友の話題に触れると
まぁ、すごい長文になりますね(笑)
今回の内容も参考になれば幸いです。

※この記事は、主観が含まれます。
 全員に当てはまるものでもありません。
 複数の視点で読めるように心がけていますから
 一つの回答に絞られないこともあります。
 生き方のマニュアルとしてではなく
 あなたが生きるうえでの参考になれば幸いです。

私たちは「あって当たり前」で
「なければ不満」に思ってしまうという
とても便利な暮らしを今は送っています。
貧富の差などの問題ではなくて
例えば
蛇口をひねれば水が出てくるし
そこに立てば自動でドアが開いてくれる。
ちょっと焦らされる自動水洗トイレw
さまざまな「便利で当たり前」が
身近なところにたくさんありますよね。
こういう当たり前のことによって
忘れてしまいがちなこと…
”だけど忘れてはいけないことについて”
今回は取り上げたいと思います。

まず、一緒に考えてみてください。
《会社の中に必要なものは何ですか?》

すぐに思いつくのは……コピー機、電話、シュレッダー、
PCは必需品でデスクもチェアもないと働けません。
ある程度の物が出そろったら次には
優秀な上司、可愛い後輩、気の利く人といった
「どういう人間か」についても出てくるでしょう。
その次はどうでしょうか。
会社内の設備も出てくるかもしれませんね。
自動販売機、食堂、そしてトイレ。

私たちは意識すればあって当たり前だけど
「これがないと困るわ」というものを
思い出すことができます。
でも、それぞれ人の価値観の違いによって
”思い出せない部分が存在しています”
その理由は、
【どの視点に立って

  考えるかというポジションが

    人によって違っているからです】

実はこのネタを書き始めたきっかけは私の息子で…
息子も家事を色々と手伝うようになり
お皿洗いや風呂掃除などもできるようになりました。
ですが、それをやったからといって
”家の中のことを回せているとは言えません”
でもまぁ、「義務は果たした!」などと言って
主張をしながら反抗しますよね(;^_^A
そこで私は息子に伝えたわけです。
掃除機をかけたあと、掃除機を掃除するのは誰?
ゴミを出す前に家のゴミを集めたのは誰?
お風呂を洗った後、排水溝を掃除したのは誰?
ちょっと親子喧嘩のときに私、言っちゃったんですよw

冒頭の、「会社に必要なもの」という中でも
設備としてトイレと答えられたとしても
【トイレを掃除してくれる人だと
  答えられる人は

   どのくらいいるでしょうか?】
これが今回お伝えしたいことでした。

*****まとめ*****
私たちは、それぞれに「役割」があって
会社の中でも業務は分担されて
その役割さえこなせばOKとされていますよね。
だけど実際には
【私たちが見ていない部分を
      ケアしてくれる人が】

知らないところにたくさん存在しているのです。
すべてを網羅して、という話ではなくて
これが発達障害の話に続いていきます。

発達特性を持つ当事者の人たちは
【自分の興味の範疇以外は、
   他人に押し付けてしまいがちで】

そこには家事など日常の必要事に加えて
”自分自身のお世話でさえ他人に委ね”
逃避してしまうタイプがたくさん存在します。
特に家事などに関しては
”自分の役割の範囲がなく、
   やれる人にやらせるのがスタンダード”

といった感覚を持っていることが多いです。

簡単に言えば、
「面倒なことは、
  やってくれる人に押し付けちゃえ」
みたいなことです(;^_^A
確かに、お母さんが率先してこなしてくれて
当事者は好きな事だけできる生活を許され
それで良しとされる幸せな人もいますが
【その結果、

  自立することができなくなり】
必要なスキルの何割も身につかないから
福祉のお世話になってしまうという現実があります。

会社のトイレ掃除は放っておいても
作業員がやってくれます。
給料をもらっているのだから当たり前です。
家事をやってくれるお母さんは放っておいても
日々家事をこなしてくれます。
それが家庭内の役割なら当たり前です。
……というふうに本当に思いますか?
私はそうではないと思います。

【その人たちにも拒否権があるのに】
やってくれているのではないでしょうか。
もちろん掃除が大好きでプライドを持って
バリバリ働く人もいるとは思いますが
全員がそうだとは言い切れません。
ゴミ収集車だってそうだと思います。
ただ、仕事で対価を得て生きていくためだけに
それを担当している人だって多くいるのです。

私は息子に「あって当たり前ではない」と
こんこんと言い聞かせました。
息子は最後まで家事ができないのに
あたかも完璧にやったかのように偉そうな態度で
言い切っていたことを後悔していました。
これは決して押し付けたかったのではなくて
【見えないフォローに対して
   感謝の気持ちを持つことが】

自分の成長をさらに促すでしょうし
「自立」を後押ししてくれるのだと思ったのです。

ご家庭で、親子で、時々こういうお話をしてみてください。
もしかすると何かの役に立つかもしれません。

※この記事は、主観が含まれます。
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 生き方のマニュアルとしてではなく
 あなたが生きるうえでの参考になれば幸いです。

「自分の中の、もう一人の自分と相談してね」
私はこの表現をよく使っています。
これは多重人格のお話をしているのではありません。
どういうときに、この言葉を使うかというと
【セルフコントロールを

                     目的とする時です】
これはカウンセリングがかなり進んでいって
メンタルが安定した頃からできるようになるのですが
チャレンジ自体はもっと早くから可能です。

カウンセリング開始当初は
みなさん情緒が不安定なものですし
時間をかけて気持ちの整理をしていきますから
最初、私にお話しくださるときは誰もが
”整合性がなかったり
      話がバラバラだったりします”

だから、相談の依頼をしてくださるのですよね。
これはおかしなことではありません。

ただ、そういう時の「もう一人の自分」は
【攻撃的で意地悪で
     ひどい言葉を投げつけるような】

残念な像であることが多いものです。
そのせいで余計に自分が傷ついています。
もう一人の自分…つまりこれは
【自己対話についてのお話をしています】

自己対話とは、自分自身と会話すること。
じっくりと自分の考えや気持ちを聴くことです。
ですが多くの人が
【日ごろからそれを意識できておらず】
特に嫌な事や辛いことが起きたときには
”対話によって自分をさらに傷つけてしまい”
認知がどんどん歪んでいってしまうのです。

例えば、テストが70点だったとします。
両親はそれを別に責めたりしません。
でも自分がそれを良しとしなくて、
自分を責め続けてしまえば認知は歪みます。
誰に教えられたわけでもなく
「私はバカで無能で最低な人間だ」
などといった”呪いを自分でかけるのです”

(写真提供ぱくたそ
*****まとめ*****
きちんとした対話を自分で行うためには
【認識や認知を

   しっかりと整える必要があり】
そこがまとまっていなければ
”ずっと歪んだ躾(しつけ)を
      自分が行い続けてしまいます”

これがとても危険なことで、
長く色んなことがうまくいかない人や
常に集団から孤立しているような人たちは
自分のその歪みによって思考がズレてしまい
周囲から浮いてしまっている可能性があります。
これはカウンセリングなどで修正しなければ
将来どんどん困ることになってしまうでしょうし
定年後、高齢者になった頃には完全に孤立し
相談相手も雑談できる友人もいなくなります。

冒頭で表現していた「もう一人の自分」
その人は
【公正に判断できる人であり、
   自分の最大の味方である必要がある】

これを目指していくことが大切かと思います。
でも現実的に、人が陥ってしまうのは
【もう一人の自分という
    「敵」を作ってしまうことです】

この大きな違いが理解でき、対策できれば
あなたは今以上に素敵な人になれるでしょう。

もう一人の自分は
■24時間365日、自分と一緒に過ごしている
■都合が良いとき悪いときで出方が違う
■実は無意識に、毎日何万語も会話している
■誰よりも一番、身近な存在
■自分を簡単に呪うことができる

このように、とらえ方によっては
とても危険な人物なのですね(;'∀')
だからこそ、そのような危険な状況にならないよう
【自分を手なずけて
    最大の味方にするのです】

そのためには、日々、認知修正を続けます。
それは自分一人で継続できるものではなく
カウンセリングなどを通して習得するものです。

「セルフコントロール」ができるようになったら
今よりもさらに生きやすくなると思います。
そして”自立心がもっと強くなって”
自分を信じる力も敬う気持ちも大きくなるでしょう。
どう考えたって、良いことづくしですので
ぜひ認知修正について検討してみてくださいね。

※この記事は、主観が含まれます。
 全員に当てはまるものでもありません。
 複数の視点で読めるように心がけていますから
 一つの回答に絞られないこともあります。
 生き方のマニュアルとしてではなく
 あなたが生きるうえでの参考になれば幸いです。