ついに第一回目のB級F1ドライバーを
紹介します!
じゃかじゃかじゃかじゃん!
「ペドロ・ディニス」です!!!
まさに90年デビューでは
最高のペイ・ドライバー
(持参金を出せるドライバー)
かなと思います![]()
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F1デビューは1995年。
その年に国際F3000からステップアップした
新興チームであるイタリアを本拠にした
「フォルティ」でした。
意気揚々とステップアップした
チームですが、出来上がったマシンは
とにかく遅く予選・決勝共にビリ争い。
最終戦オーストラリアGPの
(最後のアデレード開催)
決勝7位が最高。
2018年の規則ならば
ポイントGETですが、
当時は6位まで。
ノーポイントでした。
一年目は結果が出なかった
ディニスにあるチームが
声をかけます。
それがフランスの「リジェ」でした。
元々はフランス色が強く
国営企業がバックアップしていましたが、
チームの指揮が変わったことで、
バックアップが減り、
資金難になっていました。
リジェはディニスの背後にいる
資金バックアップを期待して
オリビエ・パニスのNo.2として
起用されました。
1年目の結果もあり、
期待度は低めでしたが、
第7戦のスペインと
第14戦のイタリアの決勝で
6位に入り、2ポイント獲得!
予選も最高11位が2回と
(予選は22台程度出走)
評価を高めました。
そしてフル参戦3年目の1997年!
なんと前年度のワールドチャンピオン
デイモン・ヒルのチームメイトに!!!
アロウズ・チームへ移籍し、
エンジンはヤマハ、
タイヤはブリヂストンと
日本にも馴染み深い体制でした。
ヒルもチャンピオンチームの
ウイリアムズから中堅のアロウズへ
移籍だったので、どこまで二人は
戦えるのか?
ディニスはヒルを超えられるのか!?
注目度の高いものになりました。
初戦はヒル共々マシンの熟成不足から
予選で下位に沈むのですが、
過去最高の予選7位に入り、
入賞は終盤戦のルクセンブルクGPの
5位一回に終わりました。
このシーズンは全17戦中3戦で
予選において前年度のチャンピオンを
上回ってますから悪くないシーズン
といえます。
フル参戦4年目の98年も
アロウズ残留。
チームメイトが90年代前半は
日本のレースを走り、
なおかつ奥さんも日本人の
フィンランド人ミカ・サロへ。
マシンの出来は良いものの、
ヤマハから自社製エンジン
(ハート)へ変わったマシンは
低速コースでしか真価を発揮せず。
決勝は5位・6位が一回ずつの
3ポイントでした。
1999年はスイスの中堅チーム
ザウバーへ移籍です。
チームメイトは後藤久美子さんの
旦那さんであるジャン・アレジ。
フェラーリの型落ちエンジンを
積んでいますが、戦闘力はまずまず。
初戦のオーストラリアGP
(メルボルン)では
アレジを予選で上回り、
ディニスの意地を見せました!
全16戦の内4戦でアレジに
予選を勝ち、シーズンは6位3回の
3ポイント。
そして、なんとチームメイトのアレジを
ポイントで追い抜いたんです!
(アレジは2ポイント)
ディニス自身初の快挙!!!
これまでずっとナンバー2で
ひっそりと活躍していたディニス。
もちろんマシントラブルが多かったのも
事実でアレジはシーズン途中で
来期は残留しないと発表しちゃいました。
運も実力の内です。
結果、2000年はザウバーの
エースへと昇格です!![]()
チームメイトは98年以来の
ミカ・サロでした。
しかし、この年は全体的に振るわず
最高位は7位でノーポイントに
終わりました。
(ちなみにサロは6ポイント)
実はディニスのF1ドライバー人生は
ここで終わります。
元々、バックアップがあったディニスは
古巣のプロスト(96年に走ったリジェが
フランスの英雄的F1ドライバー
アラン・プロストに97年に買収されました)
の一部株式を購入し、ドライバーは引退
経営メンバー入りします。
しかし、2001年のプロストは
チーム内でゴタゴタし、
ディニスも大きな役割を
果たせないまま、チームは
解散してしまいました。
その後は母国ブラジルで
入門カテゴリーの
フォーミュラー・ルノーシリーズに
関わっていたようです。
他のドライバーよりも
バックアップがたくさんあって、
お金をチームに持ちこめたので
ペイ・ドライバーの代表格に
挙げられることが多いのですが、
ポイントを取っていることは
大いに評価できます。
チャンピオンの器はありませんでしたが、
いつも頑張るディニスの姿は
個人的にとても好きでした。
人当たりの良いディニスのことなので、
今でも何かしらうまくやっていること
だと思います。
今後も色々なドライバーを
取り上げます。
どうしても熱の入った文になりますが、
その辺りはご容赦ください。
宜しくお願いします。