11日の震災以降、ずっと毎日そのまま捨てずにいた地元紙の河北新報・・・。
12日の朝、11日の夕刊と12日の朝刊が一緒に入っていました。
夕刊は「市内小中学校卒業式」の記事が載っていました。
その数時間後に起こる事を誰も知らずにいた「普通の生活」が紙面に溢れていました。
そして、朝刊には信じられない写真が・・・。
ライフラインが途絶え、11日の夕方からは雪が降り始め、朝起きると外は真っ白。
こんな中、新聞が配達されるとは思っていなかったので、本当にびっくりしました。
編集、印刷、配送、配達・・・たくさんの方の「思い」がリレーされた宝物を頂いた思いがしました。
携わった皆さんも、余震の中の作業だったはず。
家族や友達を心配しながら・・・
大変な中、本当にありがとうございました。
今月に入り、新聞をどうしようか・・・このままためておくわけにもいかないし・・・
って思いながら改めて読み返してみました。
そして、気づいたんです。
あ、読み飛ばしていた記事がこんなにあったんだ…って。
それは、「復興に向けてがんばっています」っていう記事。
「この時期に、こんなに頑張っていた人がいたんだ」、とか「壊滅的って言われていたこの地域にも変わりなく営業しているお店があるんだ」ってわかってものすごく嬉しくなりました。
紙面からパワーをもらえました。
どうしても、被災情報にばかり目が行ってしまっていたんですね。
TVでも、「被災地の悲惨な状況」と「原発情報」ばかり流れています。
数日前、運送会社が配送を開始したとたん、堰を切ったように親戚から食料品が届きました。
うちはもうすっかりライフラインも整って、ガソリンも数時間待てば入れられるようになっていた時期で、買いだしもできるようになった頃のこと。
お礼の電話をしたら、「津波で仙台駅もやられたんでしょう?」とか、「放射能で外を歩くのも心配でしょう?」とか、びっくりするような事をいわれました。
「いえいえ、津波は海岸方面の話です。仙台駅はJRはまだですが、地下鉄は震災の3日後には部分再開したんですよ。仙台は福島原発からずっと離れているし、普通に外も歩けていますよ。」
って言ったら、なんだか、「あれれ?」っていうリアクション。
東北=被災地=みんな泣き暮らしている みたいな捉えられ方をしていたみたいです。
地元のワイドショーでは再開されたお店や工場の元気な様子も流れているのに…
普通の生活をしている人がたくさんいて、以前と同じように営業しているお店もいっぱいあるのに・・・
そうか、復興している情報は流れていても、悲惨な情報の印象がつよくて、そちらばかり記憶しているのかもしれない・・・って思いました。
あ、そういえば、新聞で知る前は私も塩釜や女川は全部流されちゃった、って思っていたんだっけ。
新聞記事の中の明るい情報を読み飛ばしていた自分と同じなのかもしれない。
新聞にはテレビで避難所に商品を差し入れしていた会社や小さい頃に行った事のあるお店が載っていたりして、「ああ、この会社の事だったんだ」って思ったり。
気になってインターネットで調べては、「なるほど、この地域は無事だったんだ・・・」ってわかったり。
新聞からインターネットで情報をたどっていくと、色々なことが分かりました。
「自分にできる事はないだろうか?」
ずっと考えていた答えが見えた気がしました。
東日本が元気になっている様子にフォーカスを当ててブログで紹介できないかな?って。
でも、日々、新聞記事を打ち込むよりは、新聞社のサイトを紹介すればいいのかな?って思ったしもして。
ところが、会員にならない限り、一定の期間を過ぎるとリンクできなくなっちゃうらしいんです。
じゃあ・・・この新聞をそのまま見てもらえたら?
スキャンして、トリミングして編集したものをUPして、さらに関連した情報を調べて一緒に紹介したら・・・?
前を向いて頑張っている皆さんがいることを知ってもらえるし、通販をしている会社だったら商品を買ってもらえるかもしれない。観光業なら「旅行に行ってみようかな?」って思ってもらえるかもしれない。
ホームページからメールができるなら皆さんに激励のメールをしていただけたら会社の方々に喜んでいただけるかもしれない。(先日TV取材を受けていた会社の社長さんが「メールが励みになっている」って言ってました。)
小さいことだけど、自分の記録としても続けて行けたら・・・って思いました。
ここ数日、ずっと新聞の記事をスキャンしていて、ようやく少しずつUPできる状態になりました。
記事をクリックするとリアルな大きさで読む事ができます。
新聞が掲載された日の日付で過去投稿して行きますので、よかったら、「Theme」の中の「新聞より~復興の兆し」からご覧くださいね。