「夏の思い出・・・出来るんだ、。」② | 「バックパッカーがH・Ⅰ・Sの役員になった奇跡」小さな会社の未来の創り方

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出来ない事はやらないことだとHIS創業者「澤田秀雄」氏から学んだ。ベンチャー魂と自ら経験した多くの失敗が成長の奇跡を創る。伝える事よりも伝わること!直ぐに実践したくなる、熱き魂に触れてください。

「夏の思い出・・・出来るんだ、。」②

 
19歳の夏、僕は東京は豊島区の東長崎の町に小さなアパートを借りて住んでいた。


当時の豊島区東長崎にあった、4畳半一間、家賃13,000円のアパート。


 日々、専門学校とアルバイト先との往復でへとへとの毎日だった。
そんな僕の息抜きは、近くにあった喫茶店の「せい」という店に通うことだった。
マスターをはじめ、店に集まる常連の方から可愛がってもらって、そこは、毎日、夜中まで話し込む夢の宝箱でもあった。
 常連の仲の良い人にK氏という、アパレルの会社に勤める、凄~く几帳面で、綺麗好きでお洒落な男性がいた。彼は大学時代から山岳部で山登りが趣味であった。
 6月頃だったと思う。いつもの様に「せい」のカウンターで一杯のコーヒーで寛いでいるとき、会社帰りにK氏が店に入ってくるなり、「ひさし君!!」(当時、皆から呼ばれていました。)「山に登ろう!!気持ち良いよ!!」「3,000mを超えるんだよ」「行こうよ!!」
/「えっ!!」「でも、。・・・」「遣ったことないし、。・・・」「無理かも・・・」/「大丈夫だよ!!」「ねぇ、行こう!!」「決まった!!」
 というわけで、8月のある日、新宿から夜行の電車に乗って長野県の松本へ、そこからバスで上高地へ、そして涸沢を経由して奥穂岳に登頂したのである。

 自分では無理だと思っていた。山登りなんて、遠足で登った200から300mの山?丘?位しかなかった。・・・でも、登りはじめると経験者のK氏よりもペースを崩す事無く、登りきったのである。

 右がK氏、左が19歳の僕です。3,190mの奥穂高頂上です。


 その後、スイスのアルプスにも、アラスカのマッキンレーのベースキャンプにも、ボリビアの5,300mのアンデスにも行った事がある。でも、それは登山電車やセスナ機や車を使ったもので、自分の足で登ったのは、19歳の夏の・・・。


 その時こそ、遣らないで出来ないと思うのは間違いだときずいた、可能性は行動して始めて分かるものなんだ。・・・19歳の夏の思い出・・・出来るんだ。