いつもこの時期になると、思い出す風景があります。
それは生まれて初めてアメリカに留学した時に通っていた学校のクラスルームから見える、ばかにだだっ広い芝生の景色。
イメージはこんな感じ。
もう十何年前にもなりますが、9月の半ば、丁度この時期にニュージャージー州のバークレーハイツという小さな田舎町のホストファミリーの家から電車を乗りつぎ40分のところにあるフェアリーディキンソンユニバーシティのESL(English as a second language,いわゆる英語学校)に通い始めました。
それまでダンスを職業として華やかな世界で仕事をし、沢山の仲間と過ごし、特に引退する時はお別れ会だの、引越しだの、なんだのと毎日多くの友達とワイワイしていたのに、いきなりニュージャージーの誰もしらない、アメリカの片田舎に「ぽっつ~ん。」
もちろん、日本で英語は勉強してたけど、右も左もわからない、その上ここがどこだかわからない所で言葉が解らず、今みたいにインターネットが無い時代だから、日本との繋がりは時々かかってくる母からの国際電話のみ。
クラスメートも沢山日本人は居たけど、ほとんどの人はドミトリー(寮)に住み、すでに日本人の輪ができていて、日本語では話したくないとツッパてた私には最初日本人の友達もあまり出来ませんでした。
イタリア系アメリカ人のホストファミリーは完璧な白人一家。
私がMTVを見ていて黒人が歌っているのを見ていると、長女(7歳)がやってきて、「アケミ、これは見ちゃダメなんだよ。良くないんだよ。」と言われてしまった。
なるほど、ホストマザーがそう教えてるんだなと思い、家庭の教育方針には従おうと"OK,I WON'T"と子供の前ではブラックミュージックはNGに。あらら。。。
それよりも、何よりもその時にダンスに代わる次の夢を探しに行った訳ですから、「ここに来て、何が見つかるんだろう?」という不安た~っっぷりてんこ盛り。
海外の友達いっぱい作ってアメリカンライフをエンジョイしよう!という留学のパンフレットとは程遠い、「私はこれからどうしたら良いの?」という若干苦悩に満ちた日々でした。
20代が終わる一週間前に前職を辞め、30歳の誕生日から一週間後に日本を後にしたまだ若かりし時でした。
まあ、やっぱりニュージャージー州のここではなかなか次の夢を見つけるのは難しいかと2ヶ月で今度はニューヨークへ移っていくことになるのです。
今こうして、マッサージセラピーのクラスの講師をしていると、次のステップに悩む人や、夢を探している人、夢を現実にしようとステップを踏み出す人、様々な年齢でそれぞれのターニングポイントを迎えている女性に出会います。
そんな時に、いつもあのだだっ広い芝生の光景が目に浮かぶのです。
全てを手放して、一から始めようとして踏み出した時に、ちょっと立ち止まった瞬間。
本当に自分の身一つで30才超えての人生劇場第二章。
まあ、この時にがんばって英語を勉強したので、その後それが役立つのですが、、、
ふと、あの風景を思い出し、私もまた一歩づつ歩いて行かなくてはと思いつつ、今回はちょっと昔を振り返ってみました。
全ての頑張る人にエールを送ります。
その内、友達は出来るものですね~。皆どうしているのやら?
それは生まれて初めてアメリカに留学した時に通っていた学校のクラスルームから見える、ばかにだだっ広い芝生の景色。
イメージはこんな感じ。
もう十何年前にもなりますが、9月の半ば、丁度この時期にニュージャージー州のバークレーハイツという小さな田舎町のホストファミリーの家から電車を乗りつぎ40分のところにあるフェアリーディキンソンユニバーシティのESL(English as a second language,いわゆる英語学校)に通い始めました。
それまでダンスを職業として華やかな世界で仕事をし、沢山の仲間と過ごし、特に引退する時はお別れ会だの、引越しだの、なんだのと毎日多くの友達とワイワイしていたのに、いきなりニュージャージーの誰もしらない、アメリカの片田舎に「ぽっつ~ん。」
もちろん、日本で英語は勉強してたけど、右も左もわからない、その上ここがどこだかわからない所で言葉が解らず、今みたいにインターネットが無い時代だから、日本との繋がりは時々かかってくる母からの国際電話のみ。
クラスメートも沢山日本人は居たけど、ほとんどの人はドミトリー(寮)に住み、すでに日本人の輪ができていて、日本語では話したくないとツッパてた私には最初日本人の友達もあまり出来ませんでした。
イタリア系アメリカ人のホストファミリーは完璧な白人一家。
私がMTVを見ていて黒人が歌っているのを見ていると、長女(7歳)がやってきて、「アケミ、これは見ちゃダメなんだよ。良くないんだよ。」と言われてしまった。
なるほど、ホストマザーがそう教えてるんだなと思い、家庭の教育方針には従おうと"OK,I WON'T"と子供の前ではブラックミュージックはNGに。あらら。。。
それよりも、何よりもその時にダンスに代わる次の夢を探しに行った訳ですから、「ここに来て、何が見つかるんだろう?」という不安た~っっぷりてんこ盛り。
海外の友達いっぱい作ってアメリカンライフをエンジョイしよう!という留学のパンフレットとは程遠い、「私はこれからどうしたら良いの?」という若干苦悩に満ちた日々でした。
20代が終わる一週間前に前職を辞め、30歳の誕生日から一週間後に日本を後にしたまだ若かりし時でした。
まあ、やっぱりニュージャージー州のここではなかなか次の夢を見つけるのは難しいかと2ヶ月で今度はニューヨークへ移っていくことになるのです。
今こうして、マッサージセラピーのクラスの講師をしていると、次のステップに悩む人や、夢を探している人、夢を現実にしようとステップを踏み出す人、様々な年齢でそれぞれのターニングポイントを迎えている女性に出会います。
そんな時に、いつもあのだだっ広い芝生の光景が目に浮かぶのです。
全てを手放して、一から始めようとして踏み出した時に、ちょっと立ち止まった瞬間。
本当に自分の身一つで30才超えての人生劇場第二章。
まあ、この時にがんばって英語を勉強したので、その後それが役立つのですが、、、
ふと、あの風景を思い出し、私もまた一歩づつ歩いて行かなくてはと思いつつ、今回はちょっと昔を振り返ってみました。
全ての頑張る人にエールを送ります。
その内、友達は出来るものですね~。皆どうしているのやら?