フレッツ光太郎の学び 老子から学ぶ生き方の知恵7.
フレッツ光太郎のメンターメッセージです。
老子三十二章に「樸は小なりといえども、
天下能く臣とすることなし」とあります。
これは「好きなことをやれ。人に使われなくてもよい。」
という意味だそうです。
樸(ぼく)、すなわち、山から出されたままの皮がついている
やせ細った木は、なんの用も足しません。
用をなさないということは、人に使われないことを意味します。
世の中の人が、家来とか、下僕として使われなければ、権威者の
いいなりになって、卑屈な思いをして、生きなくてもよいのです。
これは、自分自身の内側にも当てはまります。
働くことは、大いに讃美されるべきでしょう。
しかし、もし食べるために、いやいやしなくてはならない労働を
しているとしたら、それは、できるだけ避けたいものです。
金のためにだけ、面白くもないことを、召し使いのようになって、
汗水たらして辛苦している人生が、なんの意味があるのでしょう。
それは、自分自身の脳に囚われている状態ではないか。
脳のいいなりになっているのではないか。
社会の適応能力があれば、それに越したことはないが、仮に適応能力が
なくても、それはそれでいいではないか。と言っているのです。
その方が、自分の本質の生命を表現して、自主的に生きられる、
とも言っているのです。
老子は、自分の外側からも、そして内側からも
自由になることを問いているのです。
フレッツ光太郎、今週の学びでした☆
明日からは「無意識に支配されない方法」というテーマでお届けします。
お楽しみに!
老子三十二章に「樸は小なりといえども、
天下能く臣とすることなし」とあります。
これは「好きなことをやれ。人に使われなくてもよい。」
という意味だそうです。
樸(ぼく)、すなわち、山から出されたままの皮がついている
やせ細った木は、なんの用も足しません。
用をなさないということは、人に使われないことを意味します。
世の中の人が、家来とか、下僕として使われなければ、権威者の
いいなりになって、卑屈な思いをして、生きなくてもよいのです。
これは、自分自身の内側にも当てはまります。
働くことは、大いに讃美されるべきでしょう。
しかし、もし食べるために、いやいやしなくてはならない労働を
しているとしたら、それは、できるだけ避けたいものです。
金のためにだけ、面白くもないことを、召し使いのようになって、
汗水たらして辛苦している人生が、なんの意味があるのでしょう。
それは、自分自身の脳に囚われている状態ではないか。
脳のいいなりになっているのではないか。
社会の適応能力があれば、それに越したことはないが、仮に適応能力が
なくても、それはそれでいいではないか。と言っているのです。
その方が、自分の本質の生命を表現して、自主的に生きられる、
とも言っているのです。
老子は、自分の外側からも、そして内側からも
自由になることを問いているのです。
フレッツ光太郎、今週の学びでした☆
明日からは「無意識に支配されない方法」というテーマでお届けします。
お楽しみに!