ちょっと前に仕事の都合で靖国神社にいってまいりました.


平日だったものの,観光ツアーのお年寄りとか,修学旅行の生徒たちなんかもいましたね.



いろいろネタの宝庫でしたが,けっこう気にいったのが↓



奇跡のヤシの実


「ルソン島サンタクルーズにて戦死した島根県出雲市出身の陸軍軍属山之内辰四郎命(マニラ陸軍船舶司令部所属)が、戦死一年前の昭和十九年(一九四四)七月、戦況いよいよ悪化し、マニラ市を退避するに当り望郷の念断ちがたく、病院船勤務の同郷の友、陸軍伍長飯塚正市の名も書き加え、マニラ湾に流したこのヤシの実が、三十一年の歳月を経て昭和五一年三月十五日戦友の住む大社町の港に漂着した。

これを発見した同町の岡貞吉が、よくよく見ると墨書の「陸軍伍長飯塚正市君」と読み取れ、然も飯塚正市が出雲市に健在なるをつきとめ、ヤシの実は飯塚正市から山之内辰四郎命の未亡人きよ子の手に届けられ、夫人より神社に奉納された。

三十一年間の長い年月大海原を漂流し続けた悲願の籠るヤシの実は、こうして故郷にたどり着き、戦友と妻の暖かい胸に抱かれたことは、まさに奇跡といえよう」


いえよう,って

それなりに古びたヤシの実に,わりとくっきり墨で書かれた文字が残っています.


30年間漂流して朽ちないヤシの実って,消えない墨って,
どうみても嘘です.本当にありがとうございました.




ところでこういった真偽のほどは不明であったり,政治状況でのアレコレで単純に「ニポンエライ」などとは到底言えないものの,とにもかくにも先の戦争に関する肯定的な言説の中で,のほほんとしたものがでてくるのは,'70年以降みたいね.


前に紹介した大和の墓は1972だったかな


奇跡のヤシの実は1976


同じく遊就館に展示されている

オンサン徽章は1981

onsan


ナラリア勲章 もそのくらいだったような


敗戦直後は,そんなこと口にできない状態が続いたものの,アメリカに守られた軍事的真空状態で”労せずして”経済復興をとげた日本.

60年安保や学生運動といったなかで,一応名分としては戦前に対する問い直しがおこなわれていたものの,それも70年くらいから安定した豊かな社会の中で「右翼も左翼もみんな仲良く中流化」していった.

まさにそのとき残り粕のように,戦争当時ガチだった人々がやうやく無菌化されかたちで細々と声を上げたといった感じがする.

こういうのはまさにノスタルジーなんだろうね.

だって彼・彼女らは本当にかつて体験したものだからね.



そう考えると各方面で指摘されている90年以降のジャッポンブームとか,修正主義的な言説ってやっぱ別のベクトルが働いているんだなぁ,っていうのはまた別の話.




そうそう.

8/15靖国はけっこうお祭り状態になるそうですね.


聞いた話によると去年は右翼の街宣車がきて,小泉「批判」をやっていたそうですよ.


その主張は明確で

「何故来ない!!!何故参拝しない!!!」だそうな.


批判っていうかそれ熱烈なラブコールですやん.