大きなショッピングセンターと並行して走る人通り多いのある大きな道から、少しだけ入ったその道をまっすぐ行くと、先ほどの喧騒がどこに行ったかのような静かな空間が待ち受けている。

街灯で照らされた人口の光も、ある地点を越えると、それがそこにあるのが相応しくないかのように存在を感じられないようになってくる。さらに進んでいくと、暗闇の中にうっすらと一本の道が浮き上がってきて、星へ続く入り口のようにも感じられる。

 

振り返ると、少し前までいた大通りに敷き詰められた光は全然まだ見えるし、その中を駆け抜ける救急車の音もけたたましく響いている。なのに、その一角だけは、まるで見えないバリヤに守られているかのようにひっそりと佇んでいる。

 

そしてその先のもっと奥には、真っ暗の中に星の光と波の音だけが存在していて、さっきまでの光、人、音から一気に引き離されて、なんだかプライベートなプラネタリウムに入ったような気分になる。静かだけれども、ここから先に行ってしまってはもう戻れませんよとさえ感じる、ある種の断絶された世界にワープされる。

 

その両極端な境目の中で、まだどっちの世界に属しているのわからなくなった私は、一瞬だけ、ちょっとフラフラとめまいを感じるような感覚に陥る。

 

それでも歩き続けて、その曖昧な境界線を超えてしまうと、オリオン座とシリウスが左のちょっと上のあたりで煌々と光り輝きながら出迎えてくれる。時期やその日によっても彼らの立ち位置はちょっとづつ変わるのだけれども、そこに木星や金星に火星といった、私たちに近い星たちが、一緒になって光を振りまいてくれている。


シリウスから、オリオン座を見て、一際わかりやすいオレンジっぽい火星を見つけて、ほっと一息をついた後、身体を思いっきり120度ほど動かしたあたりに土星がひっそり佇んでいるのも確認できる。木星と月はまだ地平線の下に潜っていて、金星も土星もそのうちに地平線の下に降りて円を描いていてまだ戻ってきてくれるんだと思うと、その毎日の営みにほのぼのとした敬う気持ちとありがたさを感じる。こうやって私たちも、世界の一部となって生かされてるんだなと。

 

闇の中で宝石箱に気まぐれに散りばめられたような配置の光たちを、ぼーっと眺めながら、ふと、実際にこれらの星々から光が放たれたのはおそらく数億年まで、今現時点ではもういないんだなぁと思うと気づく。過去から今ここへ存在する私への応援を受けているかのようにエネルギーを全身で浴びている。

 

そして、これら一つ一つの小さな煌めきは、実際には私たちの知っている太陽よりはるかに大きなものから発せられたものだったりもする。

 

土星から、今度は180度元に戻ったあたりを見ると、ミルキーウェイが見える。ミルキーウェイって私たちから見たら天の川だとミルクの道とか、一本の連なるものっぽい表現をされているけれども、あれって実は太陽銀河系の輪っかの一部を銀河の内側から見てるものだって聞いた時に、なんかやられた感をしみじみ感じてしまったことがある。

 

本当に、私たちってちっぽけ。

うっかり人間の主観で考えていたけれども、私たちはその全体の姿も確認できない。惑星の、ほんの小さな星の一部で、ひっそりと見れる場所だけを見ている、ほんとにちっぽけな内側の存在なんだなーって圧倒されるほどの比較対象を感じる。

 

良いことも嫌なことも起こる毎日で、たまにそんな気持ちに押しつぶされるような気分になっても、こうやって大きな自然に包容されると、それがすごく小さいことのように思えてなんだか笑ってしまう。

 

こんなちっぽけな私でも、大きな世界の一部分だと思えることが愛おしい。

 

とういうことで、今日も小さく戦っている私たちに、目一杯のお疲れ様と、ありがとうを送ります。