茨木のり子さんの「ギラリと光るダイヤのような日」という詩をご存知ですか?
私はたまたま見た金八先生でこの詩を知りました。
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『ギラリと光るダイヤのような日』
短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の
お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう
子供たちは地球の住人になるために文法や算数や魚の生態なんかをしこたまつめこまれる
それから品種の改良や
理不尽な権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
バカな戦争の後始末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生まれたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい欲望などはもはや贅沢品になってしまう
世界に別れを告げる日に
人は振り返って
自分が本当に生きた日があまりに少なかったことに驚くだろう
指折り数えるほどしかないその日々の中の1つには
恋人との最初の一瞥のするどい閃光などもまじっているだろう
「本当に生きた日」は人によって確かに違う
ギラリと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ
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「ギラリ」という言葉がとても印象に残って、たまに思い出すことがあります。
「ギラリ」といえる程濃い日を私はどれだけ送っているだろう、と。
今日、認知症の方が戦時中の体験について1時間近く私に語ってくれました。
だいぶ認知症が進んでしまっている方なのですが、戦時中のことについて目をギラッとさせて話していました。
お話の中で「人生の中で戦争の時代が大部分を占めてて、その後の人生なんてこれっぽっちだなぁ」という言葉がありました。
実際には、その方が20才代の頃に終戦を迎えていますので、その後の人生の方がよっぽど長いんですが、
でもその方にとっては、戦争中の日々が「ギラリと光るダイヤのような日」、忘れられない濃い時代だったのかな、と想像しました。
年月が経っても、「あの時は一生懸命に生きたなぁ」って思い出せるような、濃い毎日を送りたいと思います。
一日、一日を大切に。