【シリーズ化したい】なぜ人は生きるのか | beyondintegrityのブログ

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なぜ、人は、生きるんだろうか。



この世に生まれたから?

死ぬのがイヤだから?

人のために役に立ちたいから?

後世に名を残したいから?

恋をしたいから?

子孫を繁栄させたいから?

人生の楽しみを謳歌したいから?



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仮に、の話だけど、2億年後、人類は生きているんだろうか。
地球は、人間が暮らせる環境であり続けるんだろうか。
あるいは、核戦争によって、自らを滅ぼす日が来るんだろうか。



未来永劫、何かが変わらぬまま存続することはない。
すべてのものは、はかなく変化し、消えていく運命にあるというのは、少し想像力を働かせれば自明のことのように感じる。

なのに、人間は、一生懸命生きようとする。
理性的に考えて、未来にはすべて雲散霧消する、という絶望しかないのに、だ。


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考えがここに至ると、この質問が出てくることになる。


「なんのために、人は生きるんだろうか?」


本当のところを言うと、その答えは、実は一つしかない。


「人は皆、自分が送りたい時間を送るために、生きる」のだ。


これは老若男女、地位や豊かさ、生まれた国、人種、生きる時代に関係なく、普遍の事実だ。
どれほどの成功者であれ、赤ん坊であれ、犯罪者であれ、宗教家であれ、同じだ。
怒り狂っていようが、悲嘆に暮れていようが、恐怖のどん底で苦しんでいようが、同じだ。



赤ん坊であれば、お母さんが触ってくれれば、嬉しいと感じるだろう。もしそれが少ないと感じた場合に、寂しさと不安を覚え、泣くかもしれない。

恐怖のどん底にいる人であれば、その恐れの対象から逃れようとするだろう。恐れのあまり逃る勇気が足りない場合には、その恐れに適応し、恐れと友達になってまで生きようとするだろう。

犯罪者であれば、周囲を敵とみなし、それを欺き攻撃することによって、人生をよくしようとするだろう。

成功に向かっている人であれば、周囲の仲間の人生を引き上げ、さらに素晴らしい仲間を増やし、充実感を得るだろう。将来も希望に満ち溢れているに違いない。

人生が退屈だと思っている人は、一時的な快楽に埋没することで、退屈さから逃れるかもしれない。


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いろんな人生がある。いろんな背景があり、価値観がある。

でも普遍的なのは、その人がその人の送りたい時間を、意識的にか無意識的にかに関わらず、送ろうとしているということだ。
人生というのは、そのようなものだ。
2億年後に地球がどうなっているか、ではなく、

「今をどうやって生きるか」

ということに人間はフォーカスをしているのだ。
その生き方が心地いいかどうかは別として。



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さて、今度は自分自身に視点を向けてみよう。

自分は、どんな人生を送りたいんだろうか。
自分の心の声に、耳を傾けてみる。




自分は、幸せに生きたいと思う。
自分の人生が幸せであってほしいと願う。

もしもその願いが叶うなら、


自分の家族・恋人が幸せであってほしいと願う。

もしもその願いが叶うなら、


自分の友人・同僚・仲間達が幸せであってほしいと願う。

もしもその願いが叶うなら、


人類が平和で幸せに暮らせる地球であってほしいと願う。


2億年先のことなんて、マッタク考える必要もなく、

人が普通に思うことっていうのは、こういうことだよね。
ごく当たり前の感覚だと思っている、この「幸せ」ということ。
これは人生の目的として、とても自然なものだ。



「幸せ」という言葉の定義は難しいけれど、
もし、自分や周囲の幸せを願う気持ちを、
素直に自分の「幸せ」だと思える人たちばかりだとしたら、

なんて素敵なんだろう、と思う。


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この地球上において、人類はまだまだ、何世代も生き延びていくだろう。

もしそうなら、いつしか訪れる「幸せ」で包まれた地球を夢見る。
そのためにまず自分が「幸せ」になり、

それを周りにも分かち合って、さらに地球全体の「幸せ」を増幅させてゆく。

そのまだ影も形もない数百年後の人々の「幸せ」ために、
自分の人生を使うことができたら。

これは究極の幸せと言えるのではないだろうか。



そしてこの究極の幸せへの欲求こそが、人が生きる命の源なんだと思う。


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ところが、今僕らが生きている時代を考えると、
その幸せの追求という実践は簡単ではないように思える。
障害となるものがたくさんある。


中でも経済的なプレッシャーが大きい。多くの人が、お金の恐怖におびえている。

幸せを妨げようとする情報もはびこっている。物欲や虚栄心、競争心をあおり、混乱させようとする。他人は信頼できないと教え込む。

私利私欲で生きようとする人たちがいる。本当の幸せを知らない人たち。彼らも経済的プレッシャーの中に生きている。

教育が不足している。本当に知るべきこと、本当に考えるべきことを、普通の生活を送っているだけでは知ることができない。


これらの障害をクリアしなければ、究極の幸せを生きることはできない。
その壁を感じ、すぐにでも絶望を見出し、人はまた幸せの追求をやめるのだ。


また最初の質問に逆戻りするか、
あるいは、何かをあきらめてしまう。
人のために役に立つことができないと思い、力を失う。


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本来の人間の力は無限大だということをを信じ貫いて行動し続けている人を見たことがあるだろうか。

誰しもが、そういう人になれるチャンスがある。
そこにある幸せを追い求める旅を、したい。

そのために実際に何をすればいいのか?
そのことを探求する思索の旅を、しばらく続けていきたいと思います。

本を綴るつもりで、書き連ねます。