昨年アメリカから帰国したとき、一番何よりも欲しかったのは、
日本の美味しい食事でした。
翌日に時間を作って、紀尾井町にある料亭に行きました。
料亭と行っても、ランチタイムに普通に入れるお店です。
高級店はディナータイムにお客を誘導するために、
お手頃な価格でランチを提供してくれるところも結構あります。
そのお店は、ランチから本格的な懐石料理を楽しめるところです。
そのランチの美味しかったこと。
アメリカでの食事に不満を持っていたことが、
その感動を大きく増幅させてくれたのですが、
感動だけでなく、新しい気付きを得ることができました。
アメリカという国は、何もかもがとても大ざっぱです。
「大は小を兼ねる」というのが、通念としてかなり浸透しているようでしたし、
「新しいものは古いものよりいい」という考え方も、日本に比べてとても強いように感じました。
国として歴史が浅く、またそのイノベーティブな発想によって世界の強者になったという成功が、
その思考を定着させたのだと思います。
それに対するものとして、日本料理、日本文化というのは、
「微に入り細を穿つ」
というところの極地にあるのではないかと思ったのです。
懐石で戴いた一つ一つの料理は、芸術作品のように洗練されていて、
素材一つ、調味料一つとっても非の打ち所がないように感じました。
塩一粒、出汁一滴の違いによって味覚が微妙に左右されるような、
それどころか、原子一個分だけ出汁が煮干しより鰹に傾くかどうか、
というレベルで、洗練されているのではないかと。
イメージとしては、グーグルアースで一点を急拡大していくような感じで、
料理の中へ電子顕微鏡で原子レベルの細かさまで一気にズームアップする感じで、
そのお皿一つ一つが、無限大に広がる「小宇宙」なのだと。
一口食べるごとに、そのお皿の中に広がる宇宙を味わっている感じ。
とても贅沢で、夢いっぱいです(笑
この感覚は、完全に僕の錯覚でしかないのですが(笑
日本はこういう感覚で一つ一つに「宇宙」を存在させることで、
文化を洗練させていったんだなぁと思ったのです。
かたや、アメリカは、いわゆる「宇宙」開発を物量作戦で展開するようなお国柄です。
NASAのような何も生産しない組織に対してお金を投じることができるような性格の国です。
(それだけ豊かとも言えますが、近代以降での軍事経済戦争の勝者であることが要因ですね)
でも、どちらも宇宙開発をしてきたんだなと。
アメリカでは「望遠鏡の中の宇宙」を。
日本では「顕微鏡の中の宇宙」を。
人間には、思考を一気に宇宙の果てまで飛ばす力があるような気がしています。
宇宙の果て、時間の果て、過去も未来も、お皿の中の出汁1滴も、遥か遠くの星屑までも。
その能力を最大限に引き延ばしたい!という人間の本来の衝動が、
そういう文化を創り出した、という観点で、国を超えて共通するものを感じました。
僕はずっと「人間の可能性は無限大」という信念を持ち続けているのですが、
その考え方は、両国の文化の成り立ちに想いを馳せても、真実のように思えたのでした。