一部フィクションを盛り込んで作成しております。


厳しい暑さがまだ残るころ、僕はある一件のパチンコホールの閉店のニュースを見ました。

よくよく見るとそのホールは、5号機前半のART機全盛期からAT機への過渡期に足繁く通ったホールであり、思い出の地でもありました。


最後の最後、店をたたむ前に一度そのホールに行って「新ハナビ」でボーナスでも1発引いてくるか、そんなことを考えながら同時に同ホールの営業スタイルを振り返っていました。


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5号機AT全盛期、イケイケノリノリ営業】


今で言う「AT機」という名称が定着し始めた頃、つまり「秘宝伝 太陽」「鉄拳デビル」「麻雀物語2」が導入されたちょっと後くらいの話。(コレらの台は厳密にはART機として導入されていました。)


世間は「絆」や「ハーデス」といった高純増ハイスペックマシンが導入され、少しずつ市民権を獲得しながら稼働を伸ばしていた時期でした。

同ホールは、荒波のハーデスを地域最速で最大導入したり、まだエリア的にスペックが浸透していなかった「沖ドキ」を島導入したりとかなり攻めた営業をしていました。


それもそのはず。

エリア的に周辺のホールはほぼ活気がなく、ちょっと強めの出玉を見せると競合店は吹けば飛ぶような状況でした。強気の営業が得策と判断したのでしょう。

グランドオープンの日付をいわゆる「特定日」として、その日には絆に鉄板台を用意していました。抽選で1番を引ければほぼ確定で絆の6が打てるという状況ですね。


そんなお祭り感が店内に漂っていると、他の台もリンクしてどんどん稼働がついていきました。ハーデスだって沖ドキだって、バラエティコーナーの少し前のART機だって、例外なくぶん回されていました。今振り返ってみると、本当に設定状況が強かったのは一部の台だけで「強く見せる」ということが非常に巧かったと考えています。



6号機の導入開始】


風向きが変わったのは6号機が導入され始めた頃。同ホールは「HEY!鏡」の導入に消極的。それどころか、まだ5号機が置ける間は5号機に注力する方針で営業を続けていきました。絆のあった場所には「まど2」や「番長3」が置かれ、気づけば鉄板台も無くなっていました。


その頃もまだ体力はあったと推測しています。あくまでサブ的な扱いは変わらないものの、6号機の黎明期に「北斗天昇」や「サラ番2」などを多めに導入するなど新台の確保は積極的。僕が体感した限りだとかなり高設定も投入されており、北斗天昇の456確定(恐らく4)やサラ番は推定5を打たせてもらいました。

この頃は新台で6号機が導入されても抽選で良番を引いた人は真っ先にまど2に向かう状況。6号機を主戦場としていた僕はゆうゆうと狙い台にありつけたのでした。



5号機の完全撤去】


2022131日、全国で5号機の完全撤去が行われ、ホールには6号機のみとなりました。気づけば同ホールは勢いを失っており、絆、まど2、番長3と時代を築いたマシンがあった場所には申し訳程度にジャグラーが置かれました。6号機の黎明期に主力機種を決めきれなかったのでしょう。


この頃になると「バイオ7」が確定台となっていましたが、確定台以外がマジでノーチャンスの印象。抽選で3番以内を引けなければ車を走らせ、近隣の別店舗に一般で入場するような人も増えた印象です。

ふと気づけばホール全体の稼働も相当落ち込んでおり、総設置台数も減少。僕はちょっと前にやっていた「パチスロボウイ全ツ企画」の時にだけそのホールに赴き、バラエティコーナーにあったボウイをひっそりと音量1で打つに留まっていました。


その後はバイオ7の場所を移して「まど4」を強化するなど少しずつ手を変えていたようですが、最後までメインを固定できずに力尽きたという感じでした。



個人的にはものすごく思い出の詰まったホールだったので少し寂しかったです。HOTD1,300ゲーム乗せたり、月下雷鳴の剥ぎ取りG7個乗せたり、ハルヒで16,000&4,000ゲームお残し大事故を起こしたり機種ラインナップが魅力的でしたので、全ツ企画は基本この店でやっていました。


最後は素人目に見ても活気がないという状況だったので、時代の変化に抗えなかったのでしょう。

いつまでも、あると思うな、親とカネとマイホ。好きな場所には行けるうちに行って楽しむべきだと思います。