阪急電車の河原町駅から四条通沿いに八坂神社に向かいました。
その間、全く日本語を聞かないほど、非常に多くの外国人観光客で賑わっていました。
和服を着て歩いている外国人女性も多く、その姿で神社にて撮る写真は旅行の良い思い出になるに違いありません。
京都四条通りが東山にぶつかった所に八坂神社が鎮座されています。
京都盆地と東山とのちょうど境目、東山の断層崖の下に八坂神社の西門があり、この西門の階段が東山への入り口ということになります。ブラタモリの京都祇園編では、この境目は「祇園」という日本一の花街が象徴する「俗世間」と、東山の「聖地」とを分けているとも紹介されていました。
日本を代表する夏の風物詩、京都の「祇園祭」は八坂神社の祭礼です。
貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したときに、災厄の除去を祈ったことが祇園祭の始まりで、古くは御霊会(ごりょうえ)と呼ばれていました。
疫病退散と言えば、御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)ですね。
素戔嗚尊は古くは牛頭天王(ごずでんのう)と習合していました。釈迦の生誕地にちなむ祇園精舎の守護神が牛頭天王です。
さらには、素戔嗚尊は薬師如来を本地仏としており、「素戔嗚尊=牛頭天王=薬師如来」は人々の疫病消除の祈りを聞き届ける神様、仏様ということで、祇園信仰が広まることになります。
神仏習合の時代は「祇園社」、あるいは「祇園さん」と親しみを込めて呼ばれていたお社は、明治時代の廃仏毀釈の運動により、「八坂神社」と改称しました。
このあたりを山城国愛宕郡八坂郷と呼ばれていたのが、その由緒だと思われます。
「八」は「多い」という意味ですので、東山の断層崖付近ということで、坂が多かったからかもしれません。
ところで、祇園祭はユダヤの「シオン祭」によく似ていると言われます。
シオン祭とは、旧約聖書の中に出てくるノアの方舟が大洪水を乗り切ったことを祝う祭りです。
「ギオン」と「シオン」の音が良く似ているということもあるのですが、ノアの方舟が地上に降り立った7月17日は、山鉾巡行の日でもあるのです。
これ以外にも日本とユダヤの共通点はいろいろとあって、例えば、モーゼの十戒が書かれた石版を収めた箱は「契約の箱」と言われていて、その箱には2本の棒が付いていて、これが御神輿にそっくりなこと、「わっしょい」という掛け声はヘブライ語で「神が来た」という意味である、などなどです。
素戔嗚尊は旧約聖書の「出エジプト」の時代に日本にやって来た第1派のユダヤ人のひとりではないかという説があります。
祇園祭では、それぞれの山鉾で厄除けの「ちまき」をいただけますが、そこには「蘇民将来之子孫也」と書かれています。これは素戔嗚尊の「茅の輪伝説」に関係しています。
(茅の輪伝説に関しては「素戔嗚神社編」をご覧ください。)
この茅の輪伝説は、これも旧約聖書に出てくる以下のストーリーに非常に良く似ています。
神は人々に、羊を屠ってその血を家の入り口の柱に塗るように命じます。その教えに従ったイスラエルの民だけが神の裁きを免れたという話しです。
この数年間、コロナで苦しんだ近代の私たちにとって八坂神社の存在感は益々大きくなってきたのではないでしょうか?




