天橋立の入り口のところに智恩寺の壮麗な山門があります。観光客は必ずこの山門に惹き付けられます。
智恩寺は奈良県桜井市の安倍文殊院、山形県高畠町の亀岡文殊と並ぶ「日本三文殊」のひとつです。また、「切戸の文殊」、「九世戸の文殊」とも呼ばれています。
天橋立によって阿蘇海と宮津湾は隔てられていますが、天橋立の南端と智恩寺側の半島との間には狭い水道があり、僅かに両方の海がつながっています。この水道のことを「九世戸」と呼んでいます。
九世戸には「小天橋」という回旋橋があります。船が水道を航行するときに、橋が回旋して通れるようになるのですが、私が行ったとき、ちょうどその様子を見ることができラッキーでした。
九世戸の名の由来には「九世戸縁起」というのがあります。
その昔、神々が日本の国造りをされているとき、この地は龍神により占領され、およそ人々が住む地ではなかったのですが、神々が相談して文殊菩薩を招かれたそうです。そして、1,000年間におよぶ説法の末、龍神をことごとく改心させ、人々を守る善神へと導きました。
文殊菩薩が持たれていた如意に乗って神々が降り立ち、後にこの如意が天橋立になったというお話しです。
こうして天神7代、地神2代の合わせて九代により出来た地を「九世戸」と名付けられました。
この縁起が書かれたのは室町時代の中期ということですから神仏習合の内容になっていますね。
ちなみに、丹後国風土記には、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が作った天に登る梯子が倒れてできたのが天橋立だと書かれています。
「三人よれば文殊の知恵」とよく言いますが、文殊菩薩は「智慧」を司る仏として知られています。
この「智慧」は、「頭が良いとか知識が豊富にある」といった一般的な「知恵」の延長線上にあり、仏教の目的である悟りをひらくための「考え方」と言っても良いかもしれません。そのときに、キーワードになるのが「空(くう)」です。
そして、文殊菩薩は昔から弱者救済を行う慈善活動の象徴でもあったことを今回初めて知りました。
御朱印はとても美しく感激しました。
天橋立という奇跡の景観と文殊菩薩の優しさを融合したのが、丹後地方の風土と言うべきものではないでしょうか。