感謝は、絶対にあった方がいい。
それも、溢れるほどの感謝がいい。
今の感謝の感情が、自分の未来を創るから。
今、溢れるほどの感謝をしていたら、未来にそういう感情を感じるような出来事が起こる。
今の感情は、未来の先取り。
ただ、「感謝がいい」と言われても、まったく感謝していないのに、「感謝しています」と嘘をついてほしくはありません
(ブログ「感謝の弊害」)。
心からの感謝が、いちばん大切。
そのことを思うと、自然に涙が溢れてくるくらいの、心からの感謝。
どう頑張っても心から感謝できないほど、まだ心が荒ぶっているのであれば、無理に感謝しなくていい。
心からの感謝は「〇〇のおかげで」「おかげさまで」と自然に出てくる。
でも、作り物の感謝では、その言葉は出てこない。
「〇〇のおかげで」と言うと心がざわざわするなら、まだその対象や出来事を許せていないし、感謝できていないということ。
心からの感謝ができていないときは、感謝できる理由をいろんな角度から真剣に探して、見つかったら、その理由を感謝の切り札として持っておく。
今日は、時々ブログにも登場する母のことを話したいと思います。
母は破天荒な人です。
詳しくは書きませんが、今の時代に子育てしていたら、児童虐待として通報されていただろうという人です。
親に関する相談をよく受けますが、私の家庭よりひどかったという話は、あまり聞いたことがありません。
私は小学校に入る前から、家族で一番の“大人”でした。
家庭内の折衝役、介護、家事。
友達と遊ぶことも許されず、学校から帰るとゴミ屋敷を片付け、家事と勉強で一日が終わる。
人に甘えた記憶なんて、一度もない。
それでも34歳までは「仕方ない」と思っていたんです。
その家族しか知らなかったから。
でも、34歳で息子を産んで、母への見方が180度変わりました。
「こんなに可愛い子どもに、あんなひどいことをしていたのか」と気づいたからです。
私が母になった瞬間、母を“親”として許せなくなったのです。
それまでは、母のことが大好きでした。
たくさん傷つけられたけど、
それでもすごく優しくて、誰よりも私を信じてくれて、守ってくれていた人でした。
でも今は──
母を考えるだけで、胸が苦しくて、泣きそうになる。
感情ってひとつしか入らないから、
いい思い出はどこかに追いやられ、
頭の中はネガティブな感情一色になってしまう。
母=私を苦しめた人。
そう自分の中で設定されてしまった。
だから仕方ない。
でも、ネガティブな感情は、自分にとって毒でしかない。
感謝の切り札が、本当に助けになります。
辛い記憶を掘り起こしていくと、
感謝したくなるような記憶も出てきます。
その中でも、一番幸せを感じる思い出を切り札として持っておく。
ネガティブな感情が出てきたときに、それを引っ張り出してくる。
たとえば
・母と毎日、新聞紙の余白にびっしり字の練習をしたこと。
私の字をいつも褒めてくれて、学校でいじめられていた私には、あの時間が唯一の救いでした。
あの時間がなかったら、私は生きていなかったかもしれない。
・高校生の時、スズメバチの群れに襲われた私を見て、母が服を脱いで裸になり、
「襲うなら私を襲え!」と叫んだこと。
今、自分の息子への気持ちと照らし合わせてみると、
ああ、私は愛されていたんだなと感謝でいっぱいになります。
今でも母の言動で落ち込むことはあるけれど、
そんなときは無理やりでも、この感謝の切り札を思い出します。
怒りで震えていた気持ちが、一瞬で涙と感謝に変わる。
これは母のためじゃなくて、自分のため。
人を恨んでいる自分より、感謝できる自分の方が好きだから。
自分のことを、ずっと好きでいたいから。
人のせいにしておく方が、確かに楽。
でも、恨みよりも感謝の感情でいた方が、未来は明るくなる。
奪われたエネルギーを、自分に戻すために。
他にも、ネガティブになりやすい出来事はたくさんあります。
・歩けなくなったこの身体
・私の症状を仮病だと言った医師
・8800万円の投資詐欺
・病気になった途端に疎遠になった友人
・20万円以上の給料を未払いにされたバイト先
・理由も言わず、突然音信不通になった元彼
・毎週、雑談ばかりでまったく教えてくれなかったドラムの先生
どれもネガティブな感情が湧く出来事だけれど、
私はそれぞれに、感謝の切り札を持っている。
最初は胸がチクッと痛む。
でも、意識して切り替えることで、
涙が出るほどの感謝に変わっていく。
心から「〇〇のおかげで幸せだった」と言える。
そのためには、ふたをしていた辛い記憶を自分でこじ開けること。
一方的な見方だけじゃなく、いろんな角度から出来事を見直してみること。
石田由起子