Be visionary ~夢を見ながら耕すひとになる~

Be visionary ~夢を見ながら耕すひとになる~

日々の学びや気付きから、自分の中にある中心の輪郭をよりクリアにしつつ、自分なりのビジョンを構築していく。 その中で、内なる声に耳を澄まし、大切なものや信念のようなものを醸成していこう! 

そんなことを思いながらブログを綴っていきたい。

Amebaでブログを始めよう!

昨日はプー太郎生活2日目。


たまたま休みが重なった為、急遽、学生時代の先輩と男ふたりで


温泉の旅にでかけた。


なんと、ワールドベースボール日本優勝記念で、


一日1組限定1泊素泊まり“2009円!!”


という激安プランに当日予約にも関わらずGETできたので、


超割安で温泉が楽しめた。


そして、司馬遼太郎さんの『峠』という歴史小説を読んだり、


会話を楽しみながらのんびりと骨休みをしてきた。



『峠』は、幕末の越後長岡藩の武士であった「河井継之助」という男が主人公で、


知行合一を地で行く人生ストーリーを描いた歴史小説である。


まだ触りしか読んでいないが、継之助が藩主を説得して、江戸へ遊学したい


と説得する際に言っていた言葉が妙に印象的だった。



『人間はその現実から一歩離れてこそ物が考えられる。


距離が必要である。刺激も必要である。


愚人にも賢人にも会わねば成らぬ。


じっと端座していて物が考えられるなどあれはうそだ―』



確か、脳学者の茂木さんもこんなことを何かで語ってた。



『人が行動を起こすにはどうすればいいか―。 要は考えないことです。


自分で考えて問題を解くというアプローチの最大の欠点は、


そこに他人や世間がないことです。


行動をすることには考えることよりも必ず多くの要素を含んでいて、


考えているだけでは解決しないような問題が、行動すると解決したり、


そもそも問題ではなくなったりします。』



恐らく、それは「行動」ということの真理なのだと思う。


行動あるのみ。


大好きな相田みつをさんの詩のなかで、もっともお気に入りはコレです。


名古屋の展覧会に行った時に大きな額縁に入っていたこの詩に一目ぼれ・・・


人間って自分勝手なんだよね。 都合の良いように解釈する生き物だから。


もっと自然体でお互いを認め合えるようになれば、ステキな世の中になるし、


素晴らしい生き方ができるんじゃないかと思う今日この頃・・。


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トマトメロン


トマトにねぇ
いくら肥料やったってさ
メロンにはならねんだなぁ


トマトとね
メロンをね
いくら比べたって
しょうがねえんだなあ


トマトより
メロンのほうが高級だ
なんて思ってるのは
人間だけだね
それもね
欲の深い人間だけだな


トマトもね メロンもね
当事者同士は
比べも競争もしてねんだな
トマトはトマトのいのちを
精一杯生きているだけ
メロンはメロンのいのちを
いのちいっぱいに
生きているだけ


トマトにもメロンも
それぞれに 自分のいのちを
百点満点にいきているんだよ


トマトとメロンをね
二つ並べて比べたり
競争させたりしているのは
そろばん片手の人間だけ
当事者にしてみれば
いいめいわくのこと


『メロンになれ メロンになれ
カッコイイメロンになれ!!
金のいっぱいできるメロンになれ!!』
と 尻ひっぱたかれて
ノイローゼになったり
やけのやんぱちで
暴れたりしているメロンが
いっぱいいるんじゃないかなぁ

とあるブログでこんな記事が載ってた。


シュールでありながら、とても素朴な感じがとても気に入った。


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メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。


「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」


すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、
漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」


漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」


「それで?」


「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、
日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、
子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」


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将来のある時点で、あらゆることがやっとうまくいった


という時に、満足感が得られることを待ち望んでいる人が


あまりにも多い。


目標はそれに着手した瞬間からある程度の満足感を


得られるようにするべきだ。


それこそが、自分にとって意義があるかどうかを


知らせるリトマス試験紙の一枚なのだ・・・


ということを何かで聞いたことがある。


まさにそのことを端的なストーリーとして表現してくれてる。


この歴史的不況の中、次の宛もなく3月末で会社を去る決断をしたことについて、


得意先様でもあり、尊敬する先輩からこんなお話をいただいた。


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会社という人の作り出した組織に属していると、その組織の器で物事を考え、


処理をして行くようになります。

そして、知らず知らずのうちに、組織の理屈が主で、生き方が従のような感覚に陥っていきます。

人は組織のために生きているのでは無いと言うことは誰でも知っているにも関わらず、


さまざまな不安や恐怖、欲に捕らわれ、自分を縛りつけていく生き物です。

人や組織に縛られているのではなく、自分で自らを縛りつけているのだと思います。




目先の利害ではなく、自由で軽快な心で


自分らしく自分の魂が欲する事、求める事をされるのがいいんじゃないかと思います。


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いざ会社を去ると決断して始めてそんなことの意味がわかりはじめてきました。


会社というのは、あくまでも自己実現のためにあり、自分の夢や志に近づくための


手段であり、所属することが目的でもなければ、ましてや自分らしさを二の次に


会社の利益を追求する場ではない。



会社は、お客様に対して何らかの「価値あるサービスやモノ」を提供することによって、


会社を取り巻く全ての人たちを幸せにすることだと思う。


そんな想いを、愚直に表現していける企業を創っていきたいと思う。


そして、もちろんそこで働く人々が決して組織の「従」になることなく、


主体的に自己実現していける組織にしていきたい。




僕の尊敬する経営者のひとり「渡邉美樹さん」曰く・・・


『自分のことばかり考えてお金を儲けることばかり考えて生きている人と、


人のお役に立とうと思って一生懸命汗水たらして生きている人


がふたりいたら、神様はどちらを応援するだろうか?


間違いなく後者を応援するでしょう。


つまり、神様が応援する見えない力=“運”なんだと思う。』


こう考えると主体的なプラス発想を持った生き方ができる。


自分のことを「ツイてない」と口にする人間ほど、たいして努力もしていないのだろう。


自分はこういうことを堂々と言える経営者になりたい。