駿府貫目改所跡
今回は、数日前に挙げた、『上伝馬本陣・脇本陣跡 +α』 昨日、下伝馬本陣・脇本陣跡の碑をご紹介しました。『下伝馬本陣・脇本陣跡』 伝馬町通を歩いておりますと、こんなものがありました。 ありました、といっても…ameblo.jpの「 +α」、駿府貫目改所跡の碑について。 上伝馬本陣・脇本陣跡の碑の横、同じ形の碑には「駿府貫目改所跡」とあります。 貫目って、何? そもそもなんて発音する? 「かんめ」?? 「かんもく」??? 皆目わからん。 上のプレートを見ます。 説明がありました。 まず、上が貫目改所。 貫目改所 街道往来の荷物の貫目を検査するために、正徳2年、幕府が問屋場に おいた機関で、東海道では江戸に近い品川・京都に近い草津・中間の 府中の3宿だけに設置された。駄馬・乗掛馬・人足に担ぐ重さの 制限を決め重さを検め制限以上のものに、重荷として割増金を 取った。当時宿場には伝馬と駄馬があり、伝馬は公儀用の馬 で無賃であったが駄馬は駄賃馬という意味で定められた 賃銭を取って継立をする馬であった。府中宿の貫目改所 は上伝馬町脇本陣松崎権左衛門の東隣に問屋場に併設さ れており、中には二十六貫の大坪が二個備え付けられ ていた。問屋場役人が事務を執り、入用金として 65両与えられたが寛保三年以降半減され、 明治維新後は駅逓司の所管となった。 下には問屋場の説明。 問屋場 上伝馬町にあった脇本陣の東隣りにあり、 問屋二人・年より三人・宿賄吟味仮役二人 帳付け十一人・馬指十二人・人足指八人が 交代で詰め、重要な通行がある場合には宿役人 一同が出る定めであった。間口八間・奥行八間余 の平屋瓦葺で向かって左方五間四方の半分に小石 が敷き詰められ、貫目改め所が併設されていた。 駿府町奉行所目付・同心が出没して監督に当たり 駿府代官物成米の中から問屋給米7国が与えられていた。 所要の馬は法伝寺付近に設けられた馬長屋で飼われていた。 貫目(かんめ)って重さのことなんですね。 そういえば聞き覚えがあるような。 プレートの右下のほうに絵があります。 こんな様子が当時は日常的に見られたということなんでしょうね。 ま、わかったようなわからんような内容ですが、今回はここまで。