「ああ~、いいなあ~」
ため息をつきながら羨望の声を上げるあたしに、彼は何事かと呟いた。
「これよ、これ」
あたしはテレビの画面を指差す。
読んでいた雑誌からいったん目を離し、彼はテレビを見上げる。
今、放送されているのは『新日曜美術館』。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵と、フィレンツェの景色。
「これが何か?」
冷めた顔の彼に、あたしは興奮の熱を浴びせかける。
「モナ・リザも最後の晩餐も受胎告知も、芸術の最高峰よね。
ダ・ヴィンチだけでもこんなに多くの傑作を残しているのに、
あっちには他にも偉大なる芸術家がたくさんいるのよ。
ああ~、うらやましい」
「だから何が?」
相変わらず温度の低い彼。
あたしは、ダ・ヴィンチの描く伏し目がちな女の人の顔を見ながらうっとりする。
「こんなきれいな絵を、山のように見られる人生、が」
彼はしばらく、何かを考えるように宙を睨む。
「それは、あっちに行って生活できたら、ってこと?」
あっち=ヨーロッパという認識が、お互い共通していることにホッとした。
「そういうこと」
満足げに頷くあたしに、彼は大げさにため息をつく。
「あのなぁ。絵ぐらい、こっちにいたって見られるだろ。
そんなことくらいでうらやましがるなよ」
「でも、美術館の数も質も、圧倒的に違うじゃない」
「今はインターネットもあるじゃんか」
「画面通して見るのと生で見るのとじゃ、全然違うの」
「だからってさ、別に芸術家でもないのに美術館目当てで移住するなんて
そんな贅沢なことできるわけないだろ」
「そうだけどぉ・・・」
現実派の彼としては、夢見がちなあたしの理想なんて全く考えられないんだと思う。
だけどあたしは、どうしても考えてしまう。
洗礼者聖ヨハネの勝気な視線と、天を指した指先に釘付けになりながら、あたしは呟く。
「ルーブル美術館の側で暮らせたらなぁ・・・」
「暮らしてどうするんだよ?」
呆れ果てた様子で、尋ねる彼。
「朝起きたらパリの街中を散歩して、開館するや否やルーブルに入り、
好きな絵の前で一日中ぼうっとしながら、閉館と同時に家に帰るの」
また彼のため息。
「お前なぁ・・・」
「ぐうたらだって思ってるんでしょ?」
声を潜めて指摘すると、彼は「まあな」と答えた。
「あたしだってわかってるわよ、そんな生活、できっこないってことは」
そう。いくらなんでも、そんな悠々自適な暮らし、できるわけがない。
それができるほどのお金も、語学力も、美術に関する知識もない。
すると彼は、あたしの肩に軽く手を回した。
「んじゃ、隠居生活はそっちの方向でいくか」
「え?」
あながち冗談でもなさそうな彼。
画面に映し出されたモナ・リザは、あたしたちを待ち受けているように静かに微笑んでいた。