春もすぐそこ、ということで、部屋の壁を塗り替えることにした。
「やっぱ白がいいよ、明るい感じがするし」
彼の強い要望で、壁の色はクリームから白にすることに決定した。
ペンキ、ローラー、ハケ、新聞紙、軍手etc・・・
塗り替えに必要な道具を用意して、汚れてもいいトレーナーとジーンズに着替えたら準備完了。
窓を開けると、春風に近いさわやかな空気が流れている。
「ペンキ日和ね、今日は」
あたしは窓枠に手をかけ、部屋の中にいる彼を振り返る。
彼は頷きながら、コンポにCDをセットしている。
部屋に響く、Nat Adderleyの「WORK SONG」。
クリーム色の壁にローラーで白を塗っていく。
見る見るうちに洗い立てのような色に変わっていくのが、爽快。
「仕事がはかどるわね」
「歌のおかげかもな」
あたしと彼。並んで作業する。
しばらくして、昼ごはんを兼ねてのブレイクタイム。
「あと半分だな」
サンドイッチをつまみながら、半分は白で半分はクリーム色の部屋を眺める。
小さな空間に漂うペンキのにおいと、開け放した窓から入ってくる外の空気が混じり合い、溶け合う。
「昔さ、手形とかとったりしなかった?」
「手形?」
ミネラルウォーターのペットボトルに口をつけながら、あたしは彼の顔を見る。
「掌に絵の具か何か塗って、判子みたいに紙にぺたっ、てさ」
ジェスチャーつきで説明する彼に、あたしは相槌をうつ。
「そういえば幼稚園とか、小学校であそびでやったかもねぇ」
うーん、とうなりながら頭の中をめぐってみると、図工の授業なんかでやったような記憶がある。
「大人になってからは、さすがにやってないけど」
あたしが付け足した言葉に、彼は目を輝かせた。
「ちょっとやってみない?」
掌に、真っ白なペンキが塗られていく。
ちょっとひんやりした感触が気持ちいい。
「行きます、第一号!」
そう叫びながら彼は、クリーム色の上に思い切り掌を押し付けた。
ぺったり、きれいな手形。
「おおっ、スゲー!」
なぜだか感激している彼に続いて、あたしも掌をくっつける。
大きい手と少し小さい手。真っ白な手がふたつ、並んだ。
リピートされる「WORK SONG」をB.G.M.に、あたしと彼は手形のアートに夢中になった。
コルネットとかいうトランペットみたいな音に合わせて、掌を押す。
これこそアートのコラボレーション。
大きなキャンパスに、あたしたちの分身とも言える手形が連なる。
ぺたぺた、ぺたぺた。
「けっこう重労働だな」
額に滲む汗をぬぐいながら、彼はそう言って笑う。
その顔には、ペンキの飛び散った跡が数滴。
「顔、ペンキついてる」
あたしが指摘すると、彼もあたしの顔を指さした。
「お前もな」
春を予感させる風が、ペンキのにおいを少しずつさらっていく。
あたしと彼は、手形のアートで飾られた壁画を眺めていた。
「なかなか芸術的じゃねぇ?」
彼の声に、あたしも頷く。
クリーム色の中に、白い魚や木や象が、かげぼうしみたいに浮かんでいる。
「ホント、大作ね」
「塗り潰すのが惜しいな」
呟く彼の言葉。あたしも、そう思ってた。
「しばらくおいとかない? ちょうどこの部屋、絵とかなかったし」
あたしの提案に、彼もにっと笑う。
「いいかもな、それ」
半分だけ、念願の白い壁。
もう半分は、ふたりで作った手形の絵。
まだ残るペンキのにおいが、あたしたちにまとわりつく。
そして隣には、昼間の作業に疲れ、息を立てて眠る彼がいる。
何て居心地のいい部屋。