こんにちわ。やゆかです。

 

みなさんの子ども時代の思い出って、どのくらいありますか?

楽しい思い出、悲しい思い出、どちらが多いでしょうか?

 

私は、子どもの頃の思い出って、ほとんど、ないです。

覚えていない。

 

昨日、ふと気づいたんですが、

私の記憶に残っている子どもの頃(幼稚園〜小学校時代)の思い出って、

4つか5つくらいの断片しかなくて、

それは全部、思い出すとすごくつらい、悲しい思い出ばかりです。

楽しい思い出って、一つも思い出せない。

 

小学校の下校で、私だけ一人でトボトボ帰っている寂しい光景。

(ほぼ毎日、塾通いと習い事が決まってて、放課後に友達と遊ぶことも、

友達の家に遊びに行くことも私はなかった。)

 

体育が5段階評価でずっと「2」か「3」で、自分でも両親も友達も、

私は運動が苦手なコ、という烙印が押されていたのに、

(たぶん高学年の)ある時、50m走で、クラスで運動神経も上位で成績優秀で

美人の女の子より私が早いタイムだったことがあって、

その子がそれを知って悔し涙を流して、私は、すごく申し訳ない気持ちで、

私が人より何かできて目立つと、

人に迷惑をかけたり嫌われてしまうことになるんだと、思った。

 

初恋の男の子にラブレターみたいなお手紙を書いてこっそり渡したら、

その子のお母さんから、私の母の面前で「お手紙くれたのよね(笑)」と

言われて、母とその子のお母さん二人が私をバカにして笑ったように思えて、

”こんな恥ずかしい思いをするなら、2度とするもんか!”と思ったこと。

 

・・・あとは、ほとんど覚えてないなあ。

 

アルバム写真には、いろんなところへ父が旅行へ連れていってくれた写真が

残ってはいるけど、一切記憶に残ってない。 写真だけが残っている。

そして、両親とかわした会話も、覚えているのは優秀な従兄弟や親戚の子の

自慢話(どこどこの学校に合格した、またテストで1番だった、など)

を聞いてきた母がそれを私に言っていたことだけ。そのシーンや言葉だけは、

けっこう記憶にあるのですが・・・。

 

 

だから、子どもの頃、楽しい思い出がたくさんある話を聞くと、ちょっと

羨ましくなる。

そして、自分の子どもの頃の話になると、「〜された」とか「言われた」とかの

「他動詞」ばかりになって、つまり、被害者的な言い方になってしまうので、

あまり昔のことは最近は言いません。

昔は恨みや被害者的な悲しみでいっぱいの私で、それはもうかなり癒したりして

クリアしてきたはずだけど、いまだに思い出すと、そういう感情に戻りそうになる。

 

中学、高校までずっとそんな感じで悲惨な思い出ばかりで、

学生時代は反動で、目立ちたい、愛されたい思いでいっぱい。

でも逆の体験ばかりが積み重なり、

”やっぱり私は” ”どーせ私は・・” が蓄積、強化されていくばかりだった。

 

今でも、そういったこれまでのいろんなネガティブな思いやドロドロしたものは

私の細胞に記憶はされているから、何かきっかけがあればひょい、とすぐ

でてこれると思う。

 

だけど、今までとの大きな違いは、ベースが変わったこと。

自分の思い方がひねくれてしまっていたのを繰り返し修正してもらったり、

心の傷をさまざまな方法で癒してもらったり、をさんざんしてきて、

やっと、ネガティブなサイクルから抜け出して、

スタートしなおしている人生になれた気がします。

 

これって以前の自分からは信じられないことなんです。

何度、自殺を真剣に考えたかわからなかったし、ほんとに、自分は生きていても

なんの価値もないし、誰からも認められることはない、という人生をずーっと

生きてきたから。

 

人生、いつ、どんなふうになっていくのかは、

ほんと一人一人、全く異なりますね。

 

自分がこれまで生きて体験したこと、今、体験していることを、

いかに消化吸収して、これからに生かしていくか。

 

「消化吸収する」ということは、取り入れたものが別のものに新たにつくり

変えられて、その後のエネルギー源や身体の一部になる、ということ。

タレ流して出ちゃう、のではなく(笑)。

 

今まで私は代謝しにくい体質で、胃腸も弱くて消化力も弱かったけど、

少しはよくなってきてるかなぁ。

ま、自分しだい、かなニコニコ

 

思い出の話から、ちょっとシリアスになってしまいました音譜