お芝居をみているようなお話会のBettyさんです
こんにちは。
2021/6/19【朗読の日】に 綴り始めた この連載(?(笑))
今回は その第10回目でございます。
・・こんなに時間が掛かるとは・・筆が遅くて御免なさい。
自分の朗読舞台生活38年の(←あれから年数が増えてる・・・)
キッカケ等、思い出しつつ
ザックリ備忘録代わりに綴りたいと思います。
今回は、ちょっと番外編
先日、父の七回忌と 母の三回忌と 続きまして・・・
心しんみり 想いに浸ることもあり
折角、思い起こした事どもを
書き留めておくことにします
***************************
幼少期、私がまだ2歳の頃だったと思うが、
母が購入したおはなしコンサートのレコード全巻を
声色もイントネーションも模写するまでに
繰り返し楽しんだことが私の語りの原点となっている。
また、それによって好きになった`語り、演じる事`から派生して、
学生時代に人形劇を始めた。
それを 幸いとばかりに 母に駆り出され、
母が当時世話人として頑張っていた会が主催した
子どもの日やクリスマスの集い に 於いて
紙芝居や人形劇を披露したのが
私のおはなし会人生のスタートである。
当時は少子化などの問題もなく、毎回、
100人近くのお子さんと保護者を前に出し物をした。
出演者は、私と母
前日まで母と練習。
衣装や小道具も、母がサプライズで作った。
『長靴をはいた猫』の、象やネズミに瞬時に変身するカラクリや
『柿山伏』の、トキンや木の実の数珠は、
特に印象に残っている 母の秀逸な「発明」である。
年に数回のことではあるが、それは30年近く続いた。
数年前には、
母が『シンデレラ』や『アラジン』の紙芝居をやるというので、
私は母の裏方に徹して 音響係を務めた。
その様子を映像で残しておくべきだったと後悔している。
そうこうするうちには、私が 劇団活動を始め、
朗読などの舞台に頻繁に立つようにもなった。
母は、多忙の中に時間を作り、
幾つかの公演を見に来てくださった。
私が愛知県で活動していた頃は新幹線で遥々である。
勿論 全ての公演にではないが、非常に嬉しかった。
母が客席にいてくれた舞台は、つぎの通り。
1999年オーケストラと共演の音楽物語
『パディントンベアのファーストコンサート』
2004年邦楽器ユニットとの共演
『三河千一夜 やすら姫』
2010年劇的語りユニットWaiの朗読会
『天 使』(著:遠藤周作)
共演者や演出家の先生に
「娘がお世話になりまして・・・ありがとうございます」と
身体をいっぱいに折り曲げてお辞儀をして回っておられた母。
私が東京に活動の場を移し、始めた朗読会には、
「一度は見ておかないとね」と
電車を乗り継いで 聴きに来られた。
「隣の席のオジサンがね、
ブラボーッとか言ってアナタのをほめてたわよ」
と、興奮して 話してくださった母。
(身内に敬語など非常識かも知れぬが、
亡き母への感謝の前に、ここは敬語を使わずにはいられない、
ご寛容にご容赦願いたい。)
私の自作自演した朗読一人芝居を録音したテープを、
面白がってカーオーディオに入れっぱなしにして
繰り返し繰り返し聴いて 友達にも聞かせたという母。
2004年 『魔法の筆~イワンばかりなり~』(著:私)
晩年、
ベッドの上で 私の朗読会の記録CDを聴いて
「ああ 面白かった」と、微笑んだ母。
私の朗読の中に登場した歌、
東京のバスガールを一緒に歌った母。
母に聴いていただけたのは、つぎの通り。
・『東京のバスガール』(著:あべ美佳)
・『風薫るウイーンの旅 6日間』(著:小川洋子)
・『天 使』(著:遠藤周作)
・『無添加青年』(著:群ようこ)
・『おきみやげ』(著:幸田文)
お母さん、
・『青い壺-第五話』(著:有吉佐和子)
も、私は聴いてもらいたかったのだよ、母に。
身体の不自由になった母親を引き取るが、当初心配した困難も無く、むしろ母が傍にいてくれる幸せを感じるという物語なのだよ。
長年 朗読をしているので、
母がもし老いて、ゆっくり過ごすようになった際には、
私はその傍らで、母の退屈しのぎに 請われるままに
新聞を代読したり 本を朗読したり
という 光景を思い浮かべていたものだが、
現実は厳しく コロナ渦で 叶わぬまま・・・
母が旅立ってから、そうとう長い間、
何を読んでも 面白いと思えなくなってしまい、
心が固まったようになっていたが、
それも漸く、徐々に 治癒されてきたように感じる。
それでも、ときおり
「これ、お母さん 面白がりそう」
「お母さんに いつか聴いてもらおう」
と ふと思ってしまうにつけ、
叶わぬ いつかに 気付いて 胸が軋むのだ。
何かを為すときの張り合いは
親に褒めてもらうこと以上のものは無いのではないかしらん
重ねる法事の中で、
母が私の朗読を 周囲にとても誉めて語っていたこと、
母自身が 講談を演ってみたかったのだということを
知った。。。
感謝合掌