今日は、Christy Carrico(クリスティ・キャリコ)さんの「細胞から女性スペースを癒す~直感医療のヒーリングツールを使って~

」というDelphinaさん主催のワークショップを受けてみた。

最近は、こういうヒーリング系のセミナーみたいのものにはしばらく参加してなくて、かなり久しぶりだった。

 

ワークショップでのペアワークの時に、「クラウンチャクラが開きすぎていて、意識が自分の中に納まっていないような感じがする」と2名の方に言われ、ちょと気になり夜に自分でヒーリングワークをやってみた。

 

 

ヒーリングを自分に行っている時に、胸の奥に何かがあるように感じた。自己流でやるしかない、と咄嗟に思い、胸の奥にある釘のような物を見つけだしたのでそれを取り出してみた。(あくまでもイメージの話で本当に肉体の中に釘が埋もれているとかではないですが)

 

 

そのずっと胸の奥に刺さり続けていた釘のような物を胸から取り出すとその釘が「出来ないお前が悪い」と私に言ってきた。

 

 

私は、この釘がいつから何故私の胸の奥深くに埋まっていたのかと考えてみた。

 

 

すると、私の家庭環境か家族が原因か?と思ったが、彼らが私にその釘を入れたようには感じない。すると、生まれてくる時に、この釘が伴うことが条件だったのだと思った。

 

 

この世に生まれてくる時に、多分私は自分の夢を叶えるために生まれる事を決意した。だけど、ただ生まれて夢を叶えるだけではつまらないし、自分の成長にもならず意味がないので、自分を成長させるために、眼鏡をかけて生まれる事にしたのだ。そしてその眼鏡をかけている状態を忘れて生まれてきたのだ。

 

 

その眼鏡をかけると、世界が「出来ないお前が悪い」と訴えかけてくるように全てが見える。

 

 

子供の頃の家庭環境も学生時代も社会人時代も、どう考えても自分は何も悪い事をしていない時でも、私の周りの人は私に「出来ないお前が悪い」というような事を言ってきたり、そう思わされる状況が繰り広げられる。なぜなら、世の中がそう見える眼鏡をかけたままだからだ。どこに行ってもそれは変わらない。眼鏡を取らない限り。

 

 

長年そのような状態が続くと、さすがにどう考えてもおかしいなと思うようになる。そして、色々な人や情報に助けを求め、最初は「出来ない自分が悪いんだ。。。」と思いこんでいたが段々と「もしかしたらそんなに自分は悪くないのかも?」といように、その考えが薄まってくるのだ。だけど、眼鏡は外れていないから、なんとか自分の思考で「私は悪い事はしていない。大丈夫。」と言い聞かせても、感情面ではまだその眼鏡をかけた状態からは抜けきれない。

 

 

でも、自分が今までその眼鏡をかけていたんだと気付き、その眼鏡を取れば、もうそういう世の中ではなくなる。元々の世界はそんな世界ではなかったのに、ただそう見える眼鏡をかけていただけなのだから。

 

 

もしかしたら、他の人も私のように「〇〇のように見える眼鏡」をかけたまま生まれてきて、その眼鏡をかけたままの状態である事にすら気付いていないかもしれない。

 

 

私の場合は始めは、ただ苦しい状態が当たり前すぎて、自分が辛い事にすら気付かなかった。それから徐々に「あれ?苦しいな」→「苦しい期間が長すぎておかしいな」→「助けてください」→「(沢山の助けを得て段々楽になり)だいぶ楽になったけど、まだたまに苦しいな」→「苦しいのがやっと終わった」といような流れだったように思う。

 

 

ここ数日、何故か分からないけど色々な事に自分で気付く事が多くなっていた。

 

 

数日前は、スーパーで買い物をしていると、無意識に「母のために〇〇を買わないとな」と、本当はただ自分のお弁当を買うために行ったはずが、違う商品を優先的に買おうとして気付いたのだ。

 

 

待てよ、何故私は自分の弁当だけを買いに来たはずが、「これを母のために買わないと」と条件反射で思ったのだ?と我に返った。

 

 

すると、自分の中に小人のように小さくなった母が居た事に気付いた。その小人は、昔、母が私に言った「あんただけそれ食べて良いわね」と私が一人で何かを食べようとした時に言った言葉を私に投げかけてくるのだった。たった1回言われた出来事が、私にはショックだったのか、罪悪感を感じたのか、そのセリフを言う小人になった母が私の中に存在しはじめてしまったのだ。

 

 

それが理由で、自分の分だけごはんを作ろうとすると気分が平穏でなくなってしまい、毎回「私は作るけど、お母さんもいる?」と確認するようになったのだ。さすがにそれはだいぶ克服したつもりだったが、その小人は私の中に居たので、料理の時だけでなく、基本的に何かを買う時とかもかなり頻繁にその小人が「あんただけ良いわね」を言ってくるものだから、私は条件反射で「母も必要かな?」等と考えるようになっていたのだ。

 

 

それに気付いた私はその母のミニチュア版の小人に出て行ってもらった。それ以降、「母にも買わないと」という考えは湧かなくなった。もしかしたらこの小人も「出来ないお前が悪い」という眼鏡が原因で生み出されたのかもしれないと今は思う。

 

 

おかしな話をだいぶ長く書いたが、もし他の人も何か眼鏡をかけたままなら、ぜひその眼鏡に気付いて、本来の世界が見えるようになると良いなと思った。