自分の本音の部分だけが現実化したと思った
例えば、別の新しい仕事を得る時に、今よりも高い時給という部分に惹かれた
その他の内容は、それまでやっていた仕事内容と変わりはなく、ただ新しい職場の方が時給が高かったので喜んで申し込んだ
いざやってみると、確かに時給は高いが、システムもやり方も全てがあわず、良いところは時給が高めなことだけだ
「時給が高いことが嬉しい」と思ってやってみた結果、最後まで良い所は「時給が高いことが嬉しい」という思いにしかならなかった。「お金以外の事は自分に合わなくて苦しい」という結果になった
「お金を更に稼ぐため」に副業に申し込んだ。占いの執筆作業で、書くことに興味があったので、トライアルに挑戦してみた
受からないと仕事を貰えないため、自分の腕試しも含めて挑戦した
テストのお題に沿った執筆をやったが、正直な所中々きつかった。書き方にも色々なルールが決められていて、更にお題も細かいことが色々あり、説明を理解するだけでも時間がかかった
なんとか書き上げて提出したが、受かるかどうかも分からないため、その事については忘れていた
合格通知がきて、仕事の依頼が来た時に、あの執筆の大変さがよみがえったが、「お金を稼ぎたいから」いくつかの案件を受けた
実際に案件を進めていくと、ネタ切れになるしルールが細か過ぎるし、お題も自分に合わないため、納期を守るべく、かなり苦しみながらやることになった
あまりの苦痛に、引き受けた事をずっと後悔した
提出すれば無事にお金は入るだろう。目的だった「お金を稼ぐ」ことは確かに叶う
だけど、今振り返ってみると二つとも、最初から「お金が欲しい」思いが優先していて、「その事をやれる事が楽しみで」というような思いがなかったように思う
結局、その二つの仕事から得たのは「お金」であり、もちろん良い学びや経験も出来たが、長期に渡ってやりたいと思う仕事にはならなかった
「お金」を追い求めると「お金」を得ることは確かに出来るかもしれないけど、充足感ややりがいなど、その他の幸福感が伴わない結果になったように思う
「自分が興味あるからやっていて楽しい」ことを基準に仕事を選ぶと、その願い通りに「やっていて楽しい」仕事が出来て、自分が楽に出来るから自然と積極的に働くようになり、その結果お金もついてくるのではないかと思った
この経験がきっかけとなり、本当に「お金」や「金額」を基準として自分のする事を選択することをやめようと思った
そして、自分が自由に書けないような占いの執筆作業をすることにより収入を得ようとすることもやめようと思った
この二つの仕事は、本当に自分に合わなくて、とっても苦しい思いをした
良い学びになった
だけど、本当に凄く苦しかった