急に気づいた。



何故、私は今まで精一杯、周りの人の助けになる事に努力し、仕事では、英会話のインストラクターにも関わらず、カウンセラーや占い師のように、沢山の生徒さん達の人生の相談にのり、周りを励まし続け、たくさんのヒントとなるアドバイスを伝え続けたか。



仕事でもプライベートでも、自分を犠牲にしながら、周りのためを思い、手助けをして、しまいには複数人に依存され、とても苦しい思いを経験した。



気がつくと、私の周りには、私を助けてくれる人はいなく、私に助けを求める人達で埋め尽くされた。



たくさんの人達が私に助けを求めてくるようになった。



幼少期から、私が様々な意見を母や姉に伝えても、どんなに良いアイデアを伝えても、私の話に耳を向けてくれる事はなかったため、私は「何故、人は私の話を聞いてくれないのだろう。私はとても良い解決策やアイデアを言っているのに。。。」と、フラストレーションでいっぱいだった。



それが、ここ数年、急に家族も他の人間も、私の意見を聞いてくれるようになった。それなりに、現実でも結果を出すようになった事や常に周りの人間のために尽くし続けた結果かもしれない。



ようやく私は、自分の才能や能力に自信を持つ事が出来るようになった。



人々は、私のレッスンを取りたがり、色々な人に頼りにされ、プライベートでもたくさんの人が私に助けを求めてくるようになったからだ。



最初は満足感でいっぱいだったが、とうとう私は体力的にも精神的にも限界に達した。



そこでようやく私は気付いた。




私は、自分の人生を生きていない。




常に周りの人が何を必要としているかを気にかけ、そこを満たす努力をし続けた結果、他人を救う事が私の全てになってしまっていた。




私は、自分の人生が空っぽな事に気付き、やっと他人の人生の責任を負う事をやめて、私に依存する人達を全て切り離してみた。




それからしばらく経った今、急に私は気付いた。




何故、私がこんなに頑張り続けたか。

それは、自分でも気付いていない無意識で、私はたくさんの事に恐怖を感じていた。




朝、家を出ると、


「変な格好と思われないかな?」


「お金の支払いが出来なくなったらどうしよう?」


「今は上手くいっていても、将来は分からないから、英検も受けて、実力を証明出来るようにしておかないと」


「働かないと収入がなくなるな」


レジの店員さんには



「今、小さい声で話してしまったけど、きちんと聞こえたかな?」



これらは全て、無意識に感じていた恐怖に基づいた思考だった。




更には、私は色々な人にアドバイスしたり、出来る事をし続けたのは、「自己重要感」を得たかっただけだったのだ。



私は、「自分は大切な存在である」と体感したいために「周りから頼りになる存在、価値のある存在」になるために、ここまで努力してきていた事に気付いた。



SNSなどは、ほとんどやらない私は、ネットで自分アピールする人達などを「承認欲求を満たしたくて、周りから認めてほしくて頑張っている人達」と思い、「自分に承認欲求はもうないだろう」と勘違いしていた。




私も結局は、「自己重要感を得たい、承認欲求の強い人」だったのだ。




確か、心理学のマズローの5段階では、承認欲求を克服した次の段階が、自己実現欲求と言っていたように思う。




やっと今、周りの目を気にしなくて済む、「自己実現」を目指す段階に突入出来るようになったのかもしれない。




今までは、無意識に恐怖まみれになっていて、私は人生をいつも深刻に受け止めすぎていた。




留学していた時の当時の彼氏はよく言っていた。




“Life is a joke .”




当時はさっぱり意味を理解出来なかったが、今なら分かる。




そうなのだ。人生はただの冗談なのだ。




深刻にとらえて恐怖にひたる必要はない。




まるで、漫画の中の世界のように、気楽に捉えれて進むだけだ。




スティーブ・ジョブズの言っていた、” Stay foolish”も今ならわかる。




愚か者でいて良いのだ。

なぜなら、人生はただのジョークだから。