だから、私は愛されるのか。
『あんた、ほんとに。いい子やねぇ❤️』


今まで、なぜ自分がやたら人に名前を覚えてもらえたり、
お誘いが多かったり、好意をもたれたり、
その理由がわからずにいた。

顔がきれいめだから?
可愛い感じにしてるから?
社交的で楽しい人に見えるから?

それは今まで自分が人に好かれたいがために努力して得たスキルに近い物で。
だから「アクセサリー」的な意味で好かれていると思っていた。

男嫌いと彼氏ができない悩みから、
昔「愛してほしかったこと」を自分にしてあげるセッションをうけ、
幼い自分の

話を聞いてあげて
泣いてたら抱きしめてあげて
失敗しても笑って許して
幼い自分の感情を大事に
関わろうと努力して、
一緒に遊んであげた。

幼い自分が自分の手をひっぱって
楽しそうに土手を走る。
涙がたくさんあふれてきて、
そしたら

「おねえちゃん、どうしたの?」

と心配そうな目で幼い私が
私を見上げてくれていた。

その愛情深い目に
あたたかさに
心から心配そうな姿に、
小さいのに
心からほっとして。
「あんた、ほんと、いい子やね。。。」と。

自分で自分が愛おしくてしょうがなくなった。

私には「愛」がわからない
「愛」がないのかもしれない

と悩んでいたけど、そんなことはない。

私は「愛」を持っている人間で
ナチュラルに、ああで。。
そりゃ人に愛されるわな、と納得がいった。

私が愛おしくてしょうがない。
それは人が私を好きになる理由の追体験でした。

自分が愛される理由がしっかりしたおかげで、
今まで言いたいこと、不都合なことを聞いたら
答えてもらえない、嫌われてしまう、と思っていたことも
考えが変わりました。

あったかい「愛」を与える人間だから
皆、私が愛おしくて
好かれるのだから

何か聞いたり
言ったり
自分の意見を表した所で

嫌われることはない。
s
人に愛されてることが
素直に受け取れるようになりました。

大事にされてきたことも
よくわかるようになりました。

自分がどう扱われてはいけないか
どう扱われるべきか
はっきりしました。

レストランでよい食事
海や花火、素敵なデート
特別で私だけの好い
空間
時間
関係
を楽しむ。
幸せにされてよいのです。

私を傷つけるような
人・こと

私自身が許しちゃいけなかった。
周りは
ずっと前から
私の代わりに私を守ってくれていた。

なんて
なんて
幸せなんだろう。

皆ありがとう。そして自分にありがとう。
父母、愛情深く育ててくれてありがとう。
友達、ほんとナイスです。

そして気づかせてくれた嫌な思いをさせてくれた人にも感謝だ。

つづきます。