8月25日
ご縁あってお誘いいただき日本ハムファイターズOBの広瀬哲朗氏、嶋田信敏氏のトークライブに行ってきました。
会場は嶋田さんが経営する赤坂見附のお店
「UTA NOB」にて。
お二人のトークライブの後、15時プレーボールの日本ハム×楽天戦を生解説していただけるという趣向。
看板はこうなっていました。
嶋田さんが進行役で広瀬さんメインのトークライブ。
古くからのファンの方はよくご存知と思いますが、一応。
広瀬哲朗氏
静岡県出身、内野手、右投右打
1982年にヤクルトから4位指名されるが拒否し本田技研工業へ。
1985年に日本ハムドラフト1位。
1986年~1998年
嶋田信敏氏
福井県出身、外野手、右投右打
1978年ドラフト外テスト入団
1979年~1994年
広瀬さんは1985年のドラフト1位。
清原、桑田と同じ年です。
ヤクルトに4位指名された時の1位は
荒木大輔ファーム監督。
広瀬さんにとっての監督とは、というお話から
「自分にとってのいい監督とは自分を試合に出してくれる監督。」
分かりやすいですね。
一番最初の監督は高田繁監督。
高田監督はとにかくミーティングが大好きで
口癖は「V9は」だったそうです。
群馬県の敷島球場でスタメンで出て
バント失敗した時にミーティングで
「ユニフォームを脱げ!」
と言われたそうです。
しょんぼりしていた広瀬さんを見て
嶋田さんが心配になって声をかけたら
広瀬さんは「ユニフォームを脱ぐ。」
と言ったそうです。
驚く嶋田さんに
「ユニフォームを脱ぐ。洗濯に出すから。」
と広瀬さんは言ったとのこと。
この明るさで広瀬さんは失敗をしても
切り替え切り替えと考えることができたのですね。
土橋正幸監督
土橋監督は「根性根性ど根性」の監督で
誰もその方針を止める人がいなかったとか。
大島康徳さんが一番張り切ってしまったそうです。なんか分かる感じしますね~。
田中幸雄さんは真面目な性格なので
監督に逆らうことはなかったけれど
広瀬さんは逆らったのだそうです。
それでも「またチャンスは来る。」と
常に思っていたそうです。
これも広瀬さんの明るさ故でしょう。
高田監督には野球の厳しさを教わり
土橋監督には「こうやったら負ける」を教わったのだとのこと。
近藤貞雄監督
広瀬さんが活躍し始めたのは近藤監督の時代からでしょう。
近藤監督は広瀬さんに
「おまえの守備は天下一品。決して二軍に落とさない。」と言ったそうです。
「今の自分があるのは近藤さんのおかげ。」
自分の良さを認めてくれる人との出会いは
とても重要ですね。
大沢啓二監督
大沢監督は広瀬さんをキャプテンに任命。
そんな経緯で大沢監督とはすごく仲良くなったのだそうです。
大沢監督は広瀬にはチームを明るくするものがあると言ったそうで「ただし試合には出さない。」なんてことも言ったそうですが、4月の終わりから広瀬さんはスタメンに。
「打たなくていいからとにかく守備で。」
と言われたとか。
上田利治監督
この時に落合氏が入ってきたんですね。
広瀬さんとしては優勝できるチャンスはあったのに(チャンスは3回あったとのこと)結局できなかったという思いがおありのようです。
ただ落合氏という超一流選手のことはすごく尊敬しておられるのだと言いました。同様に尊敬している人として野村克也氏の名前も挙げられていました。
「野村さんは時代に合わせていくことができるから。」とのこと。
「我々がやってきたことは間違えだらけなんですよ。水を飲んじゃいけないとかね。」
そうですよね.。
今はそんな指導しないですもんね。
こうしてそれぞれの監督のお話を伺えました。
広瀬さんと嶋田さんの現役時代は
西武の時代だったという発言が
繰り返しありました。
西武の選手たちはプリンスホテルに泊まれるけれど、日本ハムの選手たちは一軍選手であってもビジネスホテルで二人部屋だったとか。
球団の懐事情がだいぶ違ったんですね。
時代は移り変わるもの。
そんなお話になりました。
「今のピッチャーはすごいと思う。」と広瀬さん。
往年の名投手たちも今の時代だったら通用しないだろうと。金田投手も江川投手も。
そうであっても広瀬さんは
守備に関しては今の時代でも自分は絶対うまい、と断言しておられました。
広瀬さんが今の野球を見ていて
守備が上手いなと思うのは
広島の菊地選手だけだそうです。
あとはただかっこいいだけ。
広瀬さんの時代は土のグラウンドだから
イレギュラーするものと思って守っていたし
そういう準備を常にしていたとのことです。
広瀬さんはドラフト1位入団ですが
昔はドラフト1位って「潰される」という
イメージがあったそうです。
個性がありすぎてチームという組織に馴染めないとか、監督、コーチと合わないなんてこともあったのでしょう。
今もそういうことはあるんでしょうが
今は「育てる」ということを重視している。
特に日本ハムはその「育てる」ことを
きっちりやっている。
広島もそうですね。
「日本ハムだからできること」
という言葉が印象に残りました.
巨人みたいに常に優勝しなければならないというチームだと「育てる」というのはなかなか難しく、日本ハムだから思い切ったことができるということです。
それは納得です。
広瀬さんは9月から20年ぶりに東京に戻ってきて仕事を始められるとのことです.
小さな子供を相手に体育指導をする会社で
野球にこだわらずに幅広く教えていくとのことです。
道徳の授業もやるんだそうで。
嶋田さんが
「広瀬が道徳を教える!」
と笑っておられました。
「野球をやったことによっていろんな人と出会えました。人間は1人では生きていけない。この歳になってまた東京には戻ってきます。60になってもまだ夢はあります。」
と言う広瀬さんがとても立派で輝いていらっしゃいました。
トークライブは〆で写真&サインタイム。
本名ではなく「みやびさんへ」と
入れていただきました!
ありがとうございます!!
さあ15時になりました。
プレーボール!
試合は2―2で。
8回裏 日本ハムの攻撃。
清宮選手がライトスタンドに勝ち越しホームラン!
清宮選手、本拠地初ホームラン!
店内も狂喜乱舞!
よし!これで勝てる!
清宮選手、札幌ドームで
初ヒーローインタビューだ!
の、はずだったのですが…
9回表、石川直也に代わってマウンドに上がった浦野投手が島内選手に同点ホームランを打たれてしまいます。
3―3、試合は振り出しに。
吉井コーチがマウンドに行き
舛田、銀次、ウィーラーを抑えました。
試合は延長戦へ。
長いブログを書いてきましたが
一番重要なのはここから(笑)
9回裏が終わって
私、店外に空気を吸いに行ったんです。
そしたら広瀬さんもいらしたので
浦野が島内にホームランを打たれてしまった件について
「あれは配球ミスですか?」
と聞いてみたのです。
そしたら広瀬さんは
「いやいや、そうじゃない。あれは配球ミスでも何でもないよ。気持ちの入り方だよ。吉井がマウンドに行ったら落ち着いてポンポンッて抑えたでしょ?気持ちっていうのも技術だから。」
と答えてくださいました。
「終わってみて、野球というものを伝える立場になって、野球というものがつくづく分かる。」
「なるほど。深いですね。」
と言う私に
「今現役の体力があったら3割打てるよ。」
と、笑顔を見せてくださいました。
試合は結局12回引き分けに終わりました。
嶋田さんは裏方にまわる感じでしたが
広瀬さんを盛り立てようと一生懸命で
お人柄を感じました。
お二人の友情をうらやましく思いました。
広瀬さんはとにかく明るい方でそれが
広瀬さんの一番の強みなのでしょう。
何度も「東京はいいなぁ。」とおっしゃっていたのも印象的で、また東京で新しいお仕事を通してたくさんの子供たちに野球の素晴らしさを伝えていっていただきたいです。
広瀬さんも嶋田さんも素敵な方で
心があたたかくなりました。
充実の1日でした。
広瀬さん、嶋田さん、主催者の方、
そして私をお誘いくださったKさん
本当にありがとうございました。