昨日出先で桂歌丸師匠の訃報を知り言葉を失いました。
もう一度聞き出したのにとただただ残念でなりません。

帰りの電車の中で、そして帰宅してから歌丸師匠を思い涙が溢れました。

歌丸師匠は横浜真金町の出身。
横浜にぎわい座の館長さんでもあります。
落語ファンとして、また横浜市民として
歌丸師匠には特別の思いがあります。

私が聴けたのは二度。
最初は2年前か横浜にぎわい座での独演会。
その時も歌丸師匠は入院されていて病室で稽古をされているとのことでした。

演目は「塩原多助一代記」
長編の人情噺です。落語にはこういう噺もあるのだと勉強になりました。とても貴重なものを聴いたと思いました。

歌丸師匠は痩せてはいらっしゃいましたが
とてもお元気に見えました。
枕で「ダイエットなんておよしなさい。洋服も着物も太っていたほうが見映えがいいんです。私の今の目方なんて恥ずかしくて言えませんよ。36kgだなんて恥ずかしくて言えません。」
と笑いを誘っていました。

入退院を繰り返しておられましたが
必ずまた聴きたいと思いました。
中止になったり代演になるのは仕方ない。

この師匠をもう一度聴かなければ。
生きているうちに聴かなければと思いました。

そして昨年関内ホールで歌春師匠との親子会。
直前まで心配していましたが、無事高座に上がってくださいました。

歌丸師匠は酸素ボンベを使っておられました。
「お見苦しくて申し訳ありません。」
とおっしゃっていました。

演目は「井戸の茶碗」
これもほろりとする人情噺。
渾身の「井戸の茶碗」でした。
その姿は神々しいものでした。

酸素ボンベを使っておられましたけど
悲壮感や痛々しさなんてものはまったく感じさせなかった歌丸師匠。
噺家としての矜持を感じました。

昨年12月に横浜にぎわい座で「歌丸 圓楽 二人会」のチケットを買ったのですが歌丸師匠は体調不良で小遊三師匠が代演。

またチケットを買おうと思っていました。
会が計画されチケットが発売されるなら
また買おう。
歌丸師匠を何回でも聴いておこうと思いました。

二度しか聴けませんでしたが
その二度が私にとって大切な思い出です。

晩年の歌丸師匠の姿を私は忘れません。

今日小遊三師匠、昇太師匠、米助師匠、歌春師匠が会見を開きました。
とても大きな存在を失いましたが
後に続く噺家さんたちはたくさんいます。

落語芸術協会のみならず落語界の未来は明るいです。
歌丸師匠には安心してお休みいただきたいと思います。

歌丸師匠、素晴らしい人生でした。
全うされました。
ありがとうございます。