こういう社会だから、まじめな人間は小さなミスが表に出ないように必死に隠す。小さいうちは隠し通せるけど積もり積もって隠し覆うせなくなり、大きなミスとして表面化し所属している組織全体に迷惑をかけることになる。すると組織は必死になって個人の問題へと矮小化してトカゲのしっぽ切りに走る。でもこれってもともとの風土が招いた災難ではないの?
一方アウトローを気取る本来まじめでない連中はわざとバカなことをやったり犯罪すれすれの行為をしている様をわざとネットにアップしたりして「どうだ俺様は悪だろう!」と楽しんでいる。なんと器の小さい子供じみた行為であろうか。
そんな大人の社会の住人が「学校でのいじめは問題である、何とか歯止めをかけなければ!」なんて言ったところで子供たちが聞くと思うの?子供達は見ているよ、大人の社会ではいじめる側が勝つ事を。本当に学校でいじめのない社会を作りたいのならばいじめのない大人社会を作ることが答えではないの?
そのためにはまず、他人の失敗(犯罪行為や故意の失敗ではなく本来の失敗ね)に対して寛容であろうよ。「失敗は成功の母」は正しいと思うよ。