私は、あまり人を信用できない。

つい、疑ってしまう。

怖がりだから、あれやこれやと先回りに想像して、不安になる。

でも、これは私の性質なんだと思う。

これは性質だから、付き合っていくしかないと思えてから、前ほどこの感情に振り回されなくなった。

疑り深いから疑ってしまうけど、本当に疑う必要があるの?と自分の中で思いを巡らす。

そうすると、だいたい私の独りよがりで、疑う必要もないことを、あれやこれやと考えて、こうなんじゃないか、ああなんじゃないかと、考えてしまっているだけなことに気が付く。

理解してもらえてなかったり、理解できなかったり、不安だったり、怖かったり、そんな感情が、いろんなことを想像させてしまうのかなと思う。

だから、すごく信頼しあっている関係の人をみると、心の底からうらやましい。

私もそんな風に、人を信じたい。思い切り自分をさらけ出したい。

今まで、そんな人に変わりたいと思って頑張ってみたことが何度かあるけど、むずかしかった。
人を疑ってしまうって、なんだか自分は最低だなと落ち込むこともあったし、つい疑ってしまうから、人に会うのが辛かった。

自分は信用できないからこそ、信頼しあえる人の姿が、ものすごーく輝いて見える。

でも、私みたいに、疑り深くて、信用しなくて、怖がりな人間も世の中には必要なんだと思う。

特に、平和じゃないような時代には、私みたいな人間は、危険を感じ取ったり、物事を疑ってみたりして、役に立つこともあると思う。

今の私にとっては、この性質が邪魔な時のほうが多いけど、無理に変える必要はないんだろうな。

すごく疲れるけど。

これが私。

疑り深いせいで、本当にそうなのかな?と感じることが多くて、そのおかげで、気が付くことがあったり、わかることがあったりする。

そんな自分にとっての発見があったときは、すごくうれしくなる。

そんないいこともあるのだ。



昔は、私の中に理想の人間像みたいなものがあった。
明るくて、友達が多くて、友達と楽しく過ごせて、勉強を頑張って、仕事は転々とせず、親兄弟とも仲が良くて、やさしくて、、、、。
理想像というよりは、そうじゃなければいけない、そんな人じゃないと価値がないような気がしてた。

だから、どれにもあてはまらない自分が、どうしようもなく価値のない人間に思えた。

理想の人間像に近づこうとするけど、自分ではない自分になろうとしているから、すごく疲れてしまうし、今のままの自分ではダメだと、ずっと自己否定しているから辛かった。

表面的には理想の人間像に近づけるようなときもあるけど、自分はそうでないことを知ってるし、虚しい感じがする。

自分が自分ではないような感じ。

今の私は、理想の人間になれてないけど、自分を知ることができて、自分は自分でいいんだと思えるようになった。

理想とは違うけど、ありのままの自分が好きだし、おもしろいと思う。

そんな風に思えて、やっと今、自分が自分になれた気がする。

やっと自分の感覚、感情を感じることができてる気がする。

自分の感覚や感情を感じることができると、自分なりの考えができるようになったと思う。

自分なりの考えができるようになって、やっと自分の人生を生きていると思えるようになった。

理想の人間像を追いかけて、自己否定して、生きづらさに悩んで、死んでしまいたいと思っていたころ、自分の人生を生きることができていなかったんだなぁと思う。

もっと若いころに、自分は自分でいいという、この感覚を手に入れていたら、楽しかっただろうな。

でも、残りの人生、あのまま変われず生きていたら、、辛かっただろうな。

時間はかかったけど、自分の人生を生きることができるようになってよかった。 

私には、このタイミングがきっとベストだったんだろうな。

今、私はやっとしあわせ、これが私の人生なのだ。