ああ、なんだ、


正しいものなんかないんだ。



ネットやらメディアやら。

いろんな情報を目にする機会が多くなった。


いろーんな人が

いろーーーんなこと言ってる。



なんだ、

全部それぞれの認識か。



「あれは毒だから食べちゃダメ」


その人が身体に悪いイコール毒だと認識した。


また別の人は身体を壊そうが病気になろうが、美味しいから良いとした。



どちらも間違いじゃない。



病気イコール悪ではないし。


死ぬイコール悪でもない。


死ぬことが開くなら悪なら、

生まれてきた瞬間に悪だ。笑



なんだ。

そんなことか。


潜在意識をいじっていて、

無意味なジャッジもうるさい感情も

思考も湧かなくなってきた。


なんであれ、

いまこの瞬間に関係がないから。



何かと何かの関連付けで騒いでいるだけ。


「で?」しかない。


それだと感情のない人にならないか?


むしろその認識があるから、

常日頃感情に振り回されて

騒いでいるだけなことに気付いた方がいい。


「自分」がいかにうるさいことに。笑



余計な思考が湧かないので、

ああそんなことかと思った。



騒いでいたいんだな、

そうかそうか。うむ。


騒いでいたら重要ぽく見えるし、

頑張ってる人ぽいもんね。


重要も頑張ってるも

ただの認識なわけだが。


それを良いものとしているから、

そう在りたく騒ぐわけで。



そんなことね。


なんて単純なんでしょう。



いま自分が実験しているのは、

願いは現実化するのか?ということ。


この世界はある種、

願い叶えゲームみたいなもんだから。


みんな叶えるために何かするでしょ?


いろんなことが

どうでも良くなってしまった。


それは無気力とは全くの別物。


全部存在しているからどうでもいい。

なんでも良い。


体験すべてが等しく素晴らしい。


そんな境地。



なんでもいいから何にもない。


ただ湧き水のように

湧いてくる願いは叶っていくのか?


躍起になっても眺めていても

どっちでもいい。


なにかしようとする不足感を

消していったらこうなるのね。


また1つ体験できた。


素晴らしきこの世界。


そこに喜怒哀楽の何もない。



なんだ、

そんなことか。







いろーんな認識が宝石のように

散りばめられている。


それがこの世界。