脳は辻褄を合わせたがる。

 過去は存在しない。


 ここを踏まえて気付いたこと。


本当は今しかなくて、

過去というのは

脳の辻褄合わせに過ぎないのでは?


夢って、
突然始まるじゃん。 

いきなり教室に座っていたり。



現実もそうなのかもしれない。


脳の仕組みで認識できないだけで。


過去は書き換えられるともいうけれど、そうなのかもしれないと思う。


今の自分と過去の自分が違いすぎて、

辻褄が合わなくなってきてるから。


なんなら、 

昨日と今日の自分も全くの別物。


その境界線を辿っていけば、

境目なんてないのだと思う。


ふと浮かんだことを書いているだけで、
思考は別に使っていない。


っていうか、

意識いじって調和の姿勢を取ったら

余計な思考なんて湧いてこない。


 だからこそ、

 今しかないんだなって思う。


思考すればわかるなんてのも本当か?

って疑問。 


 思考したからわかった、

 っていう認識があるだけでは? 

 という今の思い付き。





学校教育で考えることが

正しいみたいに教わるから、 

考えたら答えが出ると錯覚する。


算数なんかは思考というより、

記憶の結合なんじゃないかと思ったりする。


というわけで(?)

自分の過去を莫大な財産を与えられ

自由に愛されて伸び伸び育った設定にしてみた。



もちろんエネルギー上で。



脳は辻褄を合わせたがるから。


このエネルギーを創ったら、

いまの設定はどうなる?


潜在意識書き換えから

エネルギー書き換えごっこへ。



不安や恐怖のエゴも含めて

毎日楽しい。