ふと、真面目すぎるのも自我なのでは?

と思いイエス・ノーを取ってみた。


見事にイエスで、

そこから真面目すぎるフィルムの書き換え。


2歳のときにフィルムが出来ていた。

面白かった。


田舎だったから

グレようにもグレられなかったけど。

環境が違っていたら、

遊び歩いていた可能性がある。


人間も社会も嫌いだったし。


真面目に生きることに疲れるフィルム


16歳。



…疲れるの早くね?


感情を対消滅。


やっぱ真面目を良しとするのも

エゴだよね。