周囲に身体を大事にしない人、
文句を言う人が気になりだした。


そこで、
自分の中の何の情報の反映なのか?

潜在意識に聞くことにした。



「身体を大事にしない」


ここが気になるということは、
自分にも同じ情報があるということ。



「自分の身体をどれだけ愛せていますか?」



10段階で4だった。


低すぎてびっくり。



これでも食は気にかけているし、
毎日からだを緩める体操、
調和の姿勢を心掛けている。


日本人の平均よりは

意識が高い方だと自負している。



ということは、
向き合う感情や思い込みが自分の中にある。



身体に対しての罪悪感や怒り、
暴言の数々、愛せないという思い込み。


浮かんだものすべての情報を0にしていった。



0にする時に手を叩くのだけれど、
既視感があった。


いつかもこんな風に
神(創造主)に祈っていた気がする。



自分の肉体を愛せますように。


細胞、血液、シナプスの1つ1つつまで。




ああ、すべて在るんだなぁ。


無いものは1つもない。



そんな想いがこみ上げて
泣きそうになった。



そのあと、
お米の味が口いっぱいに広がるのと
咀嚼して喉を通る動作が愛おしくて
泣きそうになった。笑



人はこんなことで
涙が出るほど幸せを感じられる。



それが普通じゃない

今の日本の現状を思う。



こんなことは当たり前すぎて、
身体をいじめたり自分虐待したくなるのだなぁとしみじみ思った。




幸せと退屈は紙一重。



何も無いことを退屈だと捉えたら、
損得ゲームと幸せ追いかけっこの始まり。



現代社会がそうだからって、
別にそこにいなくてもいいんだよね。



1人の時間が幸せすぎて、
今度はこの時間を失うことに恐怖する。笑



新しいことを始めたら、
この内面のゆとりもなくなるのかなぁ。


だったら、
今のままでいいなぁ。



無くなる前提の思考。



きっと、
恐怖と不安は一生の友達。



それを無くしたくて悟りを得ようとするが、
それもまた一種の逃避である。



逃げた先にあるのは不安と恐怖。



そう思うと悟りって、
勝手に起きていくもんなのかもしれない。



日常生活、最強。


これが一番の修行だというが

ほんとその通り。


さて、

また潜在意識を探る遊びをする。


これが楽しくて楽しくて仕方がない。