内受容感覚という言葉がある。

日本ではまだ1冊ほどしか本が出版されていないような馴染みの無い言葉。

内受容感覚とは、
内臓や血管などの自己の身体内部の感覚のこと。

逆に外受容感覚とは、
五感や外からの外部刺激のこと。


いま、この内受容感覚が
学者の中では注目されている。

なぜなら、
スーパーマンになれるから。
 

内受容感覚が高いことと、
認知能力、集中力、判断力の高さは
イコールになっている。

さらに、
感情制御能力も高くなる。



内受容感覚が高いと
相手の感情も適切に読み取れると言われている

これは、
話し相手の表情を自然と真似できるから。
(ミラーリング)


内受容感覚が低い人は、
相手の行動を意識して観察しなければ出来ない。

なので、
どうしても不自然になってしまう。


無意識的に相手を模倣できる人は、
アイコンタクトの数も多い傾向にある。

このことからも、
コミニュケーションが上手いとされる。



勉強、集中力、スポーツも内受容感覚を
高めたら良いといわれている。


例えば、バスケットの試合中。

バスケットゴールにボールを入れることのみに集中する。


このとき、
自分の身体感覚や感情は邪魔になる。

例えば、
腕が疲れただの、
外したらどうしよう…といったもの。


なので、
真に内受容感覚が高い人は、
自分にとって必要な時に
内受容感覚を高められる人だともいえる。


さて、ここまで知って、

自分は内受容感覚が高いのだろうか?

疑問になってくると思う。


なんと!
これを簡単に調べる方法がある。

それは、

数十秒、
脳内だけで心拍数を数えること。

そして、
2回目に脈を測った状態で数える。

この差が少ないほど、
内受容感覚が高いといわれている。

差が0という人はなかなかいないと聞いた。


自分がやってみた時は差が1回。

内受容感覚は高い判定。
 
わりとミラーリング自然とやるし。
高いだろうなぁとは思っていた。


さらに、
この脈を測る練習することで、
内受容が高まっていく効果がある。

なので、
内需要感覚を高めて
スーパーマンになりたい人は
やってみたらいいと思う。


という、
内受容感覚に関しての前置き。



最近、
「自分軸を大事に」

とか、

「他人ではなく、
まず自分を大事にしよう」

といった論調がある。




異議あり。



脳は他者のために一番、
力を発揮する。


自分のためだけには、
力が発揮できないようになっている。


このことを内受容感覚から
自分なりに考察してみた。


まず内受容感覚とは、
内蔵や血管などの
自己の身体内部の感覚のこと。


内受容感覚が高い人は、
認知能力、集中力、判断力、
これらも同じように高い。


ということは、

外部の状況に関しても
客観的な考察が出来ると
推測できるのではないだろうか?

まず認知能力。

起きた現象を私情を交えず理解する。

解決に導くためには集中力がいる。

相手の話を聴くなどの
コミニュケーションにおいてもそう。

それらを踏まえての判断力。


自己の身体内部の感覚という、
一見すると自分事。

しかし、
紐解いて考えていくと
他者理解にも繋がる。


逆に考えると、
自己の身体内部の感覚に鈍い人。

自己のことすらわからないのに、
他者のための行動を考えられるだろうか?


自己認識と他者認識。
これはほぼ等しいのではないかと考えている。


自己認識や自己肯定。

他者を否定したまま、
することは出来ない。

なぜなら、
誰かを嫌うということは、
自身を嫌うということ。


すべての人を好きになろうとか、
そういう話ではない。
 
脳は最後の言葉を記憶する。
(詳しいことは忘れた)


例えば、
会話の中で「アイスが好き」
と言ったとする。

そうすると、
「好き」という言葉だけが残る。

なので、
仲良くなりたい相手がいる人は
「好き」を連発したら良い。


対象は相手ではなくて良い。


だから、
「嫌い」と言えば言うほど、 
どんどん嫌いになっていく。


自己肯定感、自己承認だけを
上げることはできない。

必ず他者肯定もセットになる。


そして、
自分の嫌いな部分を持っている人、
好きになんかなれない。

自分を嫌っている人は、
自然と他人も嫌っている。


この辺は詳しく話すと、
いくらでも話せてしまうので
この辺りで。


内受容感覚を高めると、
他者への認識、承認能力も高くなる。

現象(現実)への客観的理解が高いと、
わざわざ利己的になる必要がなくなる。

これは自己犠牲も同じ。


「自分を犠牲にすれば良い」

この状態は一見すると貢献なようで
不満がある状態。

自身が望んでやっているのなら、
犠牲という発想にはならないから。


内受容感覚が高ければ、
わざわざ身体を不快な状態に保とうとしない。

この自分軸にも他人軸にも
片寄らない状態。


不満が起きることもなく、
自然に貢献へと繋がるのではないか?
という話でした。





ながらで書いたから、
ちょっと支離滅裂になったかもしれない。

それでも更新しておく。笑