1971年放送 ゲゲゲの鬼太郎


 

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この時代にはすでに副作用、

治らない薬で儲けるという発想はあったんだなぁと。




なんて世界に生まれてきたのでしょう。





この間、現役の大学教授の講演を聴く機会があった。


カウンセラーでもあるので、

実際の現場のことを教えてくださった。



カウンセラーなので、

当然患者を良くしようとする。


すると精神科医から、

「患者は死なないようにするもんなんだ!」


と言われたと。



要は、生かさず殺さずということ。


長く治療して、

お金を落としてもらうのが目的。


治す気や良くしようとする気はない。



そういう先生がすべてではないだろうが、実際の現場の話。



茶番騒動が始まってから本格的に、

ボーッと生きていたら国に殺されると思った。



自分もよっぽどじゃないと、

薬を飲まなくなった。


というか、

食事を変えたら薬がいらなくなってきた。



以前はお腹を壊すことも多くて

正露丸を持ち歩いていた。


もう数年、正露丸を飲んでいない。



ロキソニンもそう。


まず生理痛が激減した。



病気になっているんじゃない、



病気にさせられているんだ



ということを思い知った。


そこに気付かないと

病院や薬をありがたがるよね。


これだけ病院が点在しているのも異常だよ。


整体にも同じことを思っているけれど。



どっちもただの対処療法。



本当は自分自身で健康を作らなければならない。

そして、身体を壊したなら改めて

意識をつくらなければならない。


なんで自分は何もせず、

他人に身体を任せるんだろう。



自分がいま学んでいて思うけれど、



日本人なにも知らなすぎる。



学校教育が不必要なことばっか教えるから、必然的に知識は自分で補わないといけないし。


でも、

そんなこと誰も教えてくれない。



最近は身体開発にハマっている。



階段や登り坂はよくわかるけれど、

身体操作によって疲れ方が全く違う。


自分は片肺だけど、

びっくりするくらい段差をスタスタ上れる。






気の遠くなりそうな階段を
気合と根性で上ってきた。


日常の動作が変われば
当然、疲れ方も変わってくる。

そこに食事で身体への消化の負担も減らす。


健康も元気も自分でつくれる。

身体はきちんと答えてくれる。


だから、
闘病という言葉が嫌い。

養わなければいけないのは、
自分が身体を労って愛する心。

そこにゴールも完成もない。


生きている限り永遠に継続すること。


教育にしても食にしても、
人間として大事なものをぶっ壊されている。


生かさず殺さずの話に、
やっぱそうなんだなーと思った。