少し前まで他人にマスクを強要してくる人が気持ち悪かった。
この時点でマスクの意味をわかっていないし、
そもそもマスクが感染を完全に防ぐものではないのは箱に明記されている。
こちら側が理論で言っているのに対し、何故か感情論を持ち出してくる。
対策というのは理論でなければならない。
しかし、疑問に思い調べたわけでもないので知識がない。
知識がない人とは会話にならない。
なのに、マスクだけは強要する。
納得できないことを強要されるイライラ。
理論のないことを強要するのは我儘ではないのだろうか。
というようなことも最近はどうでも良くなった。
そういう人なだけだから。
結局、怒りたい人は怒りたい理由が自分の中にある。
それがどういう理由だろうと良い悪いはない。
というか、
マスクに関しては人類のコミニュケーションスキルの低さが浮き彫りになっているだけだと思う。
するしないどちらにせよ、
他人を尊重する気持ちがあれば起きない問題。
だから自分は意見はあれど、
どちらの味方もしない。
みんな争いが好きなんだなーと思って眺めている。
同じ視点で考えている限り、
俯瞰して見ることが出来ないから偏って感情になる。
争いとは常に自分の中から生まれる。
自分も争う弱さを知ったのは身体で体感したから。
何かを敵に自分を正義とする争いは身体を弱くする。
これは文字では伝わらないもの。
しかし、昔の日本人は知っていたから武術として伝承されたのだろう。
強さとは相手を倒すことではない。
マスクもそうだけど、
自分の正義によって相手を倒そうとしている人って弱い。
調和状態の人に拳は振り落とせない。
理屈じゃなくて身体がそう反応する。
そうなっている。
だから、
闘病って言葉は間違いだと思っている。
この言葉はいつから使われるようになったのだろう?
自分の身体と戦うって意味合いがおかしい。
なんで身体と戦うのだろう?
病気というのは結果だ。
そこに良い悪いもない。
やっぱり、
今の世の中の人たちの考え方おかしいよ。
でも、自分は戦わない。
戦わないって、
言いなりになるって意味ではない。
悪意にも乗らないし必要ならぶちギレる。
それらはすべて自分だけのためではない。
もう一度書くがマスクの対立は、
相手を尊重する気持ちがあれば起きない問題。
人間関係のトラブルはだいたいそう。
自分がファイティングポーズとって構えたら相手も構える。
それだけのこと。