病気でも何があったわけでもないけれど。
存在していることが辛くなったりする。


いまの世の中、
よく死にたいって見たり聞いたりするけれど。

大多数は見ているものが間違っているからじゃないかと思っている。



○○したいけど、どうせ出来ない


とか、


自分には○○がない


とか。



何がどう間違っているかは、
個々の認識の違いだから何とも言えないけれど。
(声かけてもらえたら、
カウンセリングでお手伝いします)



死にたいって、
生き方を知っているからこその言葉じゃないかと思ってる。



「自分はこう生きたい!!」っていう、
狂おしいほどの心の声。



自分がそうだから、すごくわかる。


誰が悪いとか、
何が起きたとかじゃなくても。
 
時々、生きていること、
存在していることがツラくなる。


その度に「いま、何を見てる?
どこに視点がある?」

って問いかける。


まあ、
だいたいヘンなモン見てるよね。笑



・やりたくないけど、やらないといけない

生きてるのヤダ


→生きるのを放棄してまで
やらないといけないことって何よ。


このパターンだと、カウンセリングなどで
自分との対話が必要なことが多い。

ヘンな思い込みと勘違いの可能性大だから。




・常識やルールって、そういうもんなんだ

生きてるのヤダ



→常識やルールを見てるから、
そういう世界が広がってるだけだよね。

なんで、そこを見ようと思ったの?

破ったら死ぬの?




・もう疲れた

生きてるのヤダ


→黙って休め。



・あの人がグチグチうるさい

生きてるのヤダ
 

→ほっとけ。

従ったところで、
あの人は人生の責任を取ってくれない。

責任を取らない人の言うこと聞くの?




・自分なんていない方がいいんだ……

生きてるのヤダ


→自分自身がそう思ってんのに、
他人はどうも出来ないよ。


これもただの勘違いと拗らせなので、
カウンセリングなどで自分と対話してみるとおもしろかったりする。

自己肯定力も必要になるけど、
いつぞや書いた気がするから割愛する。



ありがちなパターンをザッと書いてみた。


な、
ヘンなモンばっか見てるだろ?



いかに自分がめんどくさい人間かの紹介になった気がするが気にしない。



生きてることは素晴らしいぃいぃ!!派でもないけれど。

思い込みや視点さえ変えれば違う世界が広がってるって、めちゃくちゃ多い。


ただ、当たり前になっているソレに気付くことが難しい。


だから、
たくさんたくさん自分と会話する。



自分が自分に興味を持ってあげる。



それだけで自分との誤解が解けたりする。



考えれば考えるほどわからなくなる。

世界は広いって、どこまで信じられるか。


大事。