数年前、インド人のヨガの先生が話していた物語。
砂漠を何日も歩き、
ついに水筒も空っぽになってしまった。
このままでは死んでしまう……。
飲まず食わずで死を覚悟したその時、
オアシスを見つけた。
旅人は目を輝かせて、
旅人は目を輝かせて、
オアシスの水を飲んだ。
その水は、今まで飲んだどんな水より美味しかった。
「こんなに美味しい水があったとは!
我が国の王様にも飲んでほしい!
絶対に生きて持って帰ろう!!」
旅人は持っていた羊の皮でできた水筒に水を汲んだ。
王様への想いを胸に、
それを私に飲んでほしい一心で届けてくれた。
それで十分じゃないか」
その水は、今まで飲んだどんな水より美味しかった。
「こんなに美味しい水があったとは!
我が国の王様にも飲んでほしい!
絶対に生きて持って帰ろう!!」
旅人は持っていた羊の皮でできた水筒に水を汲んだ。
王様への想いを胸に、
また砂漠を歩きはじめた。
暑さに負けず、水を残して。
なんとか国に着いた旅人は、
なんとか国に着いた旅人は、
旅の疲れもそのままに宮殿へと向かった。
「砂漠で美味しい水を見付けました!
王様に飲んでいただきたくて汲んできました!」
美味しい水と聞いて、
「砂漠で美味しい水を見付けました!
王様に飲んでいただきたくて汲んできました!」
美味しい水と聞いて、
横にいたお妃様も興味を持つ。
「お妃様もぜひ!」
旅人から水を受け取り、
「お妃様もぜひ!」
旅人から水を受け取り、
お妃様は顔をしかめた。
砂漠を何日もかけて歩いて持ってきたため、腐ってしまっていたからだ。
羊の皮に入っていたため、
砂漠を何日もかけて歩いて持ってきたため、腐ってしまっていたからだ。
羊の皮に入っていたため、
臭いも倍増していた。
「私にくれないか?」
王様はお妃様から水を受け取った。
「私にくれないか?」
王様はお妃様から水を受け取った。
腐ってしまった水を飲むと旅人に向かって言った。
「美味しいよ、ありがとう」
旅人は嬉しそうに帰って行った。
旅人が出て行った後、
お妃様は聞いた。
「なぜ、あの腐った水を美味しいと言ったのです?」
「旅人が死にかけの中、
「美味しいよ、ありがとう」
旅人は嬉しそうに帰って行った。
旅人が出て行った後、
お妃様は聞いた。
「なぜ、あの腐った水を美味しいと言ったのです?」
「旅人が死にかけの中、
見付けた水だったのだろう。
きっと、どんな水より美味しかったに違いない。
きっと、どんな水より美味しかったに違いない。
それを私に飲んでほしい一心で届けてくれた。
それで十分じゃないか」
そんな話だったと思う。
当時の自分にドンピシャな内容すぎて、
先生が何を伝えようとしたか覚えてないけど。笑
「腐った水を国を治める王に届けやがって!
打首じゃ!!」
と言うことも出来る。
そうではなく、
旅人の気持ちを汲んでいた。
王様には旅人の本当の気持ち、真意が見えていた。
旅人のしたことは、
迷惑や無礼とも言えることだったかもしれない。
でも、本当は
好きな王様のために自分が我慢してでも、
世界で一番美味しい水を届けたかった。
いまを生きるのに必要なのは、
この視点の深さだと思っている。
どれだけ愛を愛として見ることが出来るのか。
人を信じることが出来るのか。
人は失敗をする。
「だからダメ」ではなく、
どんな風にその出来事を愛と見るか、
見ようとするのか。
やり方は失敗しながら、
洗練されていけばいいんじゃないかな。
どうせお互い様だから。
書きながら泣きそうになったのは、
出来ない自分を責めていたから。
ただの誤解でわかり合えないことが
悲しかったから。
こんな人が治める国は、
どんな国なんだろうな。