いつからか、ヨブ記を繰り返し読んでいます。

 

読むたびに、問いが浮かび、また自らに返ってくる。

 

なぜ、私はヨブのように『問う者』であることを止められないのか?

 

もしかしたら、かつて私は光から生まれ、自由な存在として旅をしていたのかもしれません。

 

好奇と探求の意思を持ってこの地に降り立ち、物質やその形に強く惹かれ、

 

風となり、石となり、海や獣にもなりながら存在を遊ばせていた。

 

けれど、ある時、自分自身の「大いなる好奇」が、重さへと私を導いたのかもしれません。

 

重さ。それは苦しみでしょうか?

 

「重さとは、分離の記憶である」

 

そんな言葉が、内側からふと聞こえてくるようです。

 

 

 

私はかつて、大切な記憶を忘れたのかもしれない。

 

肉体の快楽、心の痛みに心を奪われ、自分の外側に光を探し始めたのかもしれない。

 

そして気づけば、それは“大切なものを探す(思い出す)旅”だったのだと理解するようになりました。

 

だからこそ、私はヨブに惹かれるのでしょう。

 

あの深い問いと、葛藤と、内なる対話に。

 

再びこの問いを立てていること自体が、その証明でもあると思うのです。

 

 

 

身近には、正しい意識を保ち続ける人がいます。

 

刺激や欲望を満たすことに囚われることなく、ただ静かに、生きるべき姿で在る人がいます。

 

なぜ多くの人は重さに引かれ、そのような存在に関心を向けないのでしょう。

 

それを不思議に思う人は少なく、多くの人はまるで「昏睡状態」のように生きている。

 

目的を忘れ、生きる意味も見失い、意味のない時間に身をゆだねているのです。

 

“問えば応え給う”

Ask and it will be given to you;
seek and you will find;
knock and the door will be opened to you.

 

ゴールデンウイークの喧騒から少し離れて、

 

ふと立ち止まり、自分自身に問う時間を持ちました。

 

これは、そんな静かな時間の中で綴った、雑感です。

 

今日はこの辺で……。