なぜ自分勝手な行動は嫌われるのか?
こどものころ、わがままや自分勝手な振る舞いをすることで、周りの人が離れていく経験をしたことがあると思います。
理由が分からずに悩んだり、苦しんだりする中で、「何か間違っているのではないか?」と自問自答し、苦しんだ後に、ようやく謙虚になって周りの意見に耳を傾けるようになったのではないでしょうか。
なぜ自分本位な行動は嫌われるのか?
それは、そのような行動が「自然の法則」に反しているからだと思います。
自然の法則とは、宇宙を司る普遍的な法則であり、創造主が定めたとも言われています。
この法則は、場所や時間を超えて常に働いています。
創造主には、利他の心、つまり相手のことを思いやる心があります。
「愛」と表現するとわかりやすいかもしれません。
そして、その愛の心が自然の法則にも反映されているのです。
自分勝手な行動は、他者を思いやらず、自分のことしか考えていません。
これは、利他の心に反する行為であり、自然の法則に背いていると言えます。
利己的な行為は、周りの人との調和を乱し、人間関係を悪化させます。
そして、最終的には自分自身に苦しみをもたらす結果となるように、自然の法則は働いているのです。
人は皆、小さな神を宿している
人は皆、小さな神、すなわち分け御霊を宿しています。
創造主は、その心を私たちの心に分け与え、自分勝手なことをしていると、「それは間違っている」と教えてくれます。
全て人の心に分け御霊があり、同じように感じています。
そのため、自分勝手な人を避けたり、咎めたりする行動に出るのです。
苦しみの中で人は成長する
「自己中心的ではいけない」と頭ごなしに教えようとしても、当の本人にはなかなか理解できません。
私たち人間は、肉体と精神(自我)を持っています。
外部からの刺激や痛みを感じると、それを避けようとします。
同じように、仲間外れにされたり、精神的な苦痛を感じると、自分のわがままな部分に気づき、改めようとするのです。
私たちが死んだ後にいく世界には、このような苦しみはありません。
地上での経験を通して、多くのことを効率的に学ぶために、私たちは生まれてきたと言えるでしょう。
神の知恵は無限であり、私たちは永遠の時間をかけて自然の法則を学んでいます。
良心の声に従う
良心は常に正しい答えを知っています。
しかし、自我は様々な理由をつけて、その声を聞かないようにします。
良心と自我の間で葛藤が生まれ、それが精神的な苦しみとして感じられます。
どちらが勝つかによって、その後の行動が決まります。
自分に嘘をつくとは、良心の声に従わず、自我の欲求に負けてしまうことです。
それが続くと、良心の声は聞こえなくなり、過ちを繰り返すことが当たり前になってしまいます。
たとえそれが困難な道であっても、後悔しないために、良心の声に従うべきです。
自然の法則から逃れられない
自然の法則の働きは、誰にも止めることはできません。
時と場所、登場人物を変えて、正確に結果が現れます。
因果律が働き、自分の過ちに気づき、償うための出来事が起こります。
自然の法則に反した行為は見逃されることはありません。
私たちの魂にしっかりと刻まれています。
死後、自分の犯した罪と向き合うことになります。
人生を振り返った時、過去の過ちを思い出し、罪の意識に苛まれ、後悔の念に苦しむことになるでしょう。
それならば、生きているうちに結果を受け、苦しみながらも償う方が良いのではないでしょうか?
誹謗中傷は自分に返ってくる
自然の法則を知らなければ、平気で過ちを犯してしまいます。
SNSなどでの誹謗中傷がニュースになることがあります。
匿名だから大丈夫だと思い、陰に隠れて陰湿な言葉を投げつけます。
でも初めて誹謗中傷をした時、良心が咎めたはずです。
しかし、自我の欲求に負けて文章を書いてしまったと考えられます。
同じことを繰り返すうちに、次第に良心の声は聞こえなくなります。
そして、そのような行為をすっかり忘れてしまうのです。
しかし、忘れてはいません。
死ぬ時が来れば、過去のすべての行為が映像として映し出され、その時の感情や思考を思い出す時がやってきます。
誹謗中傷していた時の自分の姿を見ることになります。
そして、傷つけられた相手がどうなったのかも知らされます。
人の心を傷つけていたことを知り、自分が犯した罪を自覚します。
償いは成長の機会
人は霊的に成長するために生きています。
自然の法則は、人を成長に導くように働いています。
だからこそ、犯した罪は償わなければなりません。
強制的な償いは、自由を奪われる以上の苦しみだと考えられます。
もし、この世で罪が償われなかった場合、来世で償うことになります。
人生の計画の中に、償いのための出来事が組み込まれるのです。
そして、それを承知した上で、私たちはこの世に生まれてきます。
ある日、何の前触れもなく、予定されていた出来事が起こります。
しかし、その原因を見つけることはできず、「なぜ私がこんな目に」と苦しむことになります。
過去に自然の法則に反した行為がないにも関わらず、苦痛を伴う出来事が起こることもあります。
そのような時は、罪の償いではなく、魂がより高みを目指して、その出来事を経験することを望んだのかもしれません。
過去世の贖罪として今経験しているのかもしれません。
もちろん、生まれる前の自分はそれを承知しています。
同じ出来事であっても、償いの時もあれば、成長のための時もあります。
一つの人生の中で、償いと成長を同時に経験することもあるでしょう。
償いの時と成長の時では、何か違いがあるのでしょうか?
例えば、誹謗中傷した人は、次の人生で同じような経験をするかもしれません。
非難されたり、社会から糾弾されるような状況に陥るかもしれません。
しかし、それを受け入れられず、運や周りのせいにしてしまい、何も学ぶことができないかもしれません。
怒りなどの感情が生まれ、さらに苦しむことになるでしょう。
その苦しみこそが、罪の償いにつながっていると考えられます。
一方、成長のための出来事であれば、その中で何らかの法則や叡智を学ぶはずです。
出来事の意味や目的を見い出すことで、苦しみは軽減されます。
そして、その出来事を乗り越える中で、生まれてきた目的の一つが達成されていくのです。
自然の法則に従って生きる
人生を無駄にしないためには、自然の法則に従って生きることが大切です。
自然の法則がどのようなものなのかは、聖書などの書物に書かれているので、ぜひ読んでみてください。
私はヨブ記をおすすめします。
難解なのですが、根気よく読んでいると、何者かが耳元で囁き、苦しみの意味を教えてくれます。
もし、今すぐに読む時間がないのであれば、良心の声に耳を傾け、正直に行動しましょう。
人や社会、動物のためになることを心がけてください。そうしていれば、間違いはありません。
今日一日を真っ当に反省し、明日に活かしていきましょう。
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