鳥には空気が見えない


魚には水が見えない


人間には自分が見えない



世界の三大神秘ですね。



ベルジャーエフという宗教哲学者は


人間は本質的に宗教的な存在で、どうしても何かを信じてしまう


宗教から逃れられない以上、正しい宗教を持つか、インチキな宗教を持つか


どちらかである。


と言っています。


多くの日本人はどんな宗教を持っているのでしょうか?


「商品経済」という宗教ではないでしょうか?


儲ける為には手段はどうでも構わない。


結果がすべて。


非常に合理的、利己的な考え方。


一方、真の宗教の本質は利他的な物の考え方であり自己犠牲を払う


非合理的な考え方と実践です。


こちらは少数派ですね。


多くの日本人は「商品経済教」の信者ですが、当然自覚はないのです。


物心がついたときから既にそこは、合理的な世界


短期的には、正直者がバカを見ることの多い不条理の世界


その文化の外側から、見ることができなければ意識すら出来ないのです。


鳥や魚と一緒、ましてや人間だもの・・・


今までは、それでも良かったんですね。


しかし、世界が変わってしまった。


資本経済そのものが揺らいでいます。


考え方を変えねばなりません。




今月16日に東京へ講演会へ行ってきました。


この不景気の最中、猛烈な勢いで業績を上げている中小企業の経営者の講演会。


ある共通点に気が付きました。


どの企業も、「性悪説」ベースにした仕組みをしっかりと構築しています。


しかし、トップの社員に向ける心は「性善説」に基づいている。


つまり、人間は合理的で、わがままで、いい加減で、だらしない事を前提にした


その本質を肯定し、その上で多くの決まりごとを徹底させているのです。


しかし、陰険ではない。とても明るい。人間が大好きなのです。


中庸ですね。


企業文化として根気よく非合理さを積み重ねています。



フレデリックアミエルは「アミエルの日記」のなかで、


処世の道では、習慣が格言にまさる 習慣は生きた格言が本能となり、肉となったものである


また、


生活とは、つまり習慣の織物である


と言っています。


今まで意識もせずに「商品経済教」の中で生きてきた我々は


意識して、この危機を乗り越えるのに必要な考え方を


新たに構築していかねばなりません。


新たな習慣の積み重ねです。


繰り返しの反復訓練しかありません。


非合理的に生きていく信念という縦糸と


正しい生活習慣の横糸で


人生というタペストリーを


しっかりと織りなして行かねばなりません。