フェリーチェのブログ



バチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画 『アダムの創造』 (ミケランジェロ)です。


万物の創造主、神は自身の姿形に似た人間を創造した際、


五つの福音を人間に与えました。


この絵は、最初の人アダムに生命を吹き込み、


地上の支配者という役割を与える場面が描かれ


中央の創造主とアダムの指先が触れる部分は


神の意志と生命の伝達を表しています。




その後、


創造主は次いで、女を創造し二人をエデンの園に住まわせ


そこを耕し、守るように言った。


主なる神は人に命じた


「園の全ての木から取って食べなさい。ただし善悪の知識の木からは


決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」


二人は裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。


そこへ賢い蛇が来て二人を誑かし


二人は善悪の木の果実を食べてしまう。


その時から、二人の目は開け、


自分たちが裸であることを知り、


いちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆った。


神がアダムを呼んだが


アダムは裸であったために身を隠し


主である神は


「取って食べるなと命じた木から食べたのか」と尋ねると


アダムは「女が私に与えたので食べました」と言った。


イブは「蛇が騙したので、食べてしまいました」


神はアダムに言った。


「お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。


土に還る時まで、お前は顔に汗を流してパンを得る。


お前は、そこから取られた土に、塵に過ぎないお前は、塵に還る。」と




以上が私たちの「原罪」です。


守るべきことを破った時から


わたしたちは罪を背負います。


わたしたちが、やらなければならない事は、


罪を犯さずに自己に忠実であることです。


自己とは、魂または、精霊としての自己です。


わたしたちの周りに起きてくる出来事


それらは本来どうあるべきなのか?


わたしたちに現れる全ての事に責任を取り


あるべき姿に再創作してゆく


つまり、ギャップを埋めてゆかねばなりません。


ひとつ、一時でも疎かにすると


わたしたちは、守るべきことを破ることになります。


破ることは、自分を裏切ることであり、


裏切ることで、自分を信用できなくなります。


信用できない自分が、何かを決めても


疑わしいものです。



わたしの前にはやらなければならない仕事が山のようになっています


やるべきことリストは、毎日増え続け


それを遮るように新たな仕事が入ります。


それを、出来ない理由を考えるのはとても簡単です。


しかし、それを


何かのせいにすれば、


アダムとイブの作った「原罪」、


振り出しに戻ってしまいます。



「正当化」をひとつなくすことで、


罪をひとつ償えます。


英文学者の福原麟太郎氏は


「書くべき手紙を3通書き忘れただけで人は憂鬱になる」と言っています。



今やるべきことを後回しにすることで、


人は集中力を半減させてしまします。


もったいないことです。



わたしの今年のテーマ


先手、先出し、先回り



体力が頼みの綱です。